「顕仏未来記」に見る日蓮の相承観

 

顕仏未来記 文永10年閏511日 真蹟12紙 身延曽存

伝教大師云わく「浅きは易く深きは難しとは、釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは、丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す」等云々。安州の日蓮は、恐らくは、三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国四師と号づく。

 

 

意訳

伝教大師最澄は「法華秀句」に次のように記している。

「爾前権教の教えは浅いものであり信受するのは容易であるが、法華経は一重深い法門となっておりその教えを持つことは困難である、これが釈尊の教判である。しかし浅い爾前権教より去って、深き法華経につくことこそ、正道を進み退することのない修行者(=丈夫)の心である。

天台大師智顗は釈尊の教えに信じ遵(したが)い、天台法華宗を助けて中国に法華経を広宣流布した。叡山の一家(伝教大師最澄と一門)は天台の法を承()け法華宗を日本に弘通したのである」と。
安房国(あわのくに)の日蓮は、恐らくは釈尊(法華経如来寿量品第十六の久遠の本仏)・智顗・最澄の三師に相承し、天台法華宗を助けて末法に流通、即ち南無妙法蓮華経を広宣流布するのである。ここで釈尊(久遠の本仏)・智顗・最澄の三師に日蓮を加えて、インド・中国・日本の三国における四人の師匠=三国四師と名づけよう。

 

 

 

ガウタマ・シッダールタ・釈尊のな推定生没年

紀元前1029年~紀元前949 :道元の「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)による説

紀元前624年~紀元前544 : 南伝仏教による説

紀元前565年~紀元前486 : 北伝仏教の『衆聖点記』による説 

紀元前466年~紀元前386 : 宇井説

紀元前463年~紀元前383 : 中村説

 

 

智顗(天台大師)

538年~59817

・南伝説をとれば釈尊とは1,082年の開き

 

 

最澄(伝教大師)

767915日~82264

・同じく南伝説をとれば釈尊とは1,311年の開き

・智顗とは169年の開き

 

 

日蓮

1222216日~12821013

・南伝説をとれば釈尊とは1,766年の開き

・道元の「正法眼蔵」(しょうぼうげんぞう)による説(鎌倉時代の仏教僧の認識)をとれば釈尊とは

2,171年の開き、日蓮による曼荼羅図顕が本格化した文永12年・建治元年・1275(日蓮54)の時点では釈尊とは2,224年の開き

曼荼羅本尊讃文「仏滅度後二千二百二十余年之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也」

智顗とは624年の開き

最澄とは400年の開き

 

 

安州の日蓮は、恐らくは、三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国四師と号づく。

 

 

◇日蓮の「相承」に関する記述から読み解けること

相承というものは物理的につながるものではない。

尊信することにより相承はなされる。

相承とは時空間を超えるものである。

相承とは久遠の本仏、智顗、最澄への直参でもある。

 

・・・・そして現代の私達も日蓮がそうされたように日蓮への直参、即ち直結の信仰となる。

日蓮を信仰の源流とし、その清流を未来へと流れ通わせていくのが現代の和合僧の使命である。

 

 

2024.5.12