釈尊(久遠の本仏)の二文字から始まる大いなる物語

 

創価学会・会憲の前文には、仏法史上未曽有の壮挙たる一閻浮提広宣流布・立正安世界の実現への、即ち仏意仏勅の一大和合僧の世界的発展という勝利の因が、そこに凝縮されているように思います。

 

特に冒頭が「釈尊」の二文字から始まるところに、釈尊を源流とする仏教の慈悲の清流とその正しき歩みに連なる正統にして正当たる和合僧の、世界宗教として更なる飛翔を遂げようとの大いなる誓願を感じてなりません。「釈尊」とのわずか二文字の表現には、未来広宣流布へ向けての無限なる可能性が開けているように思います。

 

会憲冒頭の「釈尊」には、日蓮が「諌暁八幡抄」で自らの法門である日蓮仏法を「日本の仏法」と表現した歴史的ともいえる記述から、それに留まることなく、今度は700年という時を準備期間として総括し、創価三代の精神を継承する弟子である私達が「日本の仏法」から「世界の仏法」へ昇華しよう!との思いが込められているのではないでしょうか。

 

では、「釈尊」というわずか二文字から、どうしてそのようなことが読み解けるのでしょうか。

 

仏教といえば世界の三大宗教のひとつであり、人口的にはキリスト教、イスラム教、ヒンズー教に次いで5億人も信仰者がいる宗教ですが、一般的には仏教といえば多くの人がブッダ・釈迦・釈尊等をイメージすることでしょう。

 

今日ではイスラエルのガリラヤ地方・ナザレの大工ヨセフの息子・イエスについて、彼はキリスト(救世主)であるという理解が、当然のごとくに唱えられています。

一方、仏教の開祖たる北インド釈迦族の王族・ガウタマ・シッダールタについては、他に一つの尊称だけではなく、釈尊、ブッダ、大覚世尊、如来、釈迦如来、世尊、釈迦牟尼仏、釈迦仏が同義に使われています。

 

私達は「釈尊」とただ普通に表現していますが、大きなくくりでは

 

実在の人物ガウタマ・シッダールタを釈尊とする

 

妙法蓮華経如来寿量品第十六の久遠実成の釈尊を略して釈尊とするように、法華経特に本門に説かれる経典中の久遠の本仏たる釈尊。

 

法華経以外の仏教経典や仏教説話での釈尊

 

の三つがあり、三者は別のようであったり、混同されている時も多くあります。

 

いずれにしても、人類811,900万人!!という気の遠くなるような大人数の人々にとっては、仏教といえば真っ先に思い浮かべるのはブッダにして釈迦または釈尊であることは間違いありません。

 

ということは、会憲の冒頭に「釈尊」とあることにより、

「日本の創価学会はブッダの系譜を継ぐ由緒ある教団なのか」

「釈迦に連なる現代の教団とはどのようなものなのか」

と受け入れられ、かつ引き付けるであろうことは容易に想像できることです。

 

そこで創価の文献を紐解けば

 

「いのちに寄り添う普遍の法を説き示した釈尊」

 

「宇宙と生命を貫く根源の法・南無妙法蓮華経と一切衆生が帰命する南無妙法蓮華経の御本尊をかたちとして顕し上行菩薩としての振る舞いを示された日蓮大聖人」

 

 「創価三代の師弟不二と学会精神」

 

「末法五濁悪世の奇跡ともいえる釈尊~日蓮~創価三代に連なる地涌の菩薩たる創価の友・現代の和合僧」

 

「寺院教学ではなく、和合僧の生命尊重・平和主義・人間主義的観点から和合僧の教理として位置付けられた本仏としての日蓮大聖人とその振る舞い」

 

を知ることになるのです。

 

創価に対する認識と理解・・・

これを出発点として、地球を舞台とする人類の「新たなる大いなるいのちのドラマ」が始まるように思うのです。

このことは、「人類811,900万人の人々を照らす光明」が、会憲の冒頭「釈尊」の二文字にあるといえるのではないでしょうか。

 

 

これから始まる一閻浮提広宣流布・立正安世界の大いなる旅路と物語。 溢れんばかりの夢と希望に満ちていることでしょう。

 

2024.6.30