「立正安国論」をめぐって
・立正安国論とはいかなる書なのでしょうか。
日蓮の「国主諌暁の書」です。
・なぜ国主諌暁をしたのでしょうか。
建長5年の立教からしばらくして鎌倉に出た日蓮は、正嘉の大地震を体験し、天災地変や飢饉、疫病の惨状に心を痛め、当時の仏教者として何ができるのかを真剣に思索し、打ち続く災害等の惨状から民を救わんと、為政者に謗法禁断・法華経信仰、即ち正法の信受を勧めました。
・なぜ為政者に諌暁したのでしょうか。
諸説ありますが、一つには中国の漢代にたてられた災異説などが背景にあると思われます。大地震、彗星出現、大火、洪水等と人間の行為を関連づけて説かれたのが災異説です。
前漢時代の董仲舒(とうちゅうじょ)が説いたものです。
その内容は、国に政道の乱れや失政があれば、天が災難を起こして譴告(けんこく)し、それでも改まることなければ異を出して威嚇する、最後は滅ぼしてしまうというものでした。広くは政治や人間の行いと自然現象との間に密接な関係があるとする天人(てんじん)相関説と呼ばれます。
いずれも為政者の姿勢が根幹であり、為政者が正法を信受することにより天下泰平・国土安穏を願われての、当時の事実上の主権者である前執権・北条時頼への諌暁だったのではないでしょうか。
・その結果はどういうものだったのでしょうか。
松場ケ谷の草庵襲撃、伊豆への配流というものでした。
日蓮はこのような難を「法華経に説かれた諸難を身読したもの」と捉え、「我れ法華経の行者たる」の確信を深めるに至りました。
・安国は文字通りだとしても、立正の意味するところはなんでしょうか。
立正安国論は北条時頼が読むことを意識して書かれており、まずは時頼一個人が法華経信仰・正法を信仰することが立正といえます。次に、個人に立正を促したという観点からすれば、一人を超えて万人の立正を願う思いがそこには込められていると拝します。また、安国もまずは日本国ではありますが、日蓮の法門展開は大難を重ねるほどにその深みはまして、縦に三世を、横に一閻浮提を包摂するものとなり、安国は一閻浮提の安穏と読み解けると思います。
◇立正安国論 部分
帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し自界叛逆して其の地を掠領(りゃくりょう)せば豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失い家を滅せば何れの所にか世を遁れん汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か
通解
帝王・国家の指導者は、国家を基盤として天下を治め、人々は田園を領し、生産に励み、生活を支え社会を支えていけるのである。しかるに他方の賊が来て国を侵略し、自国内で叛乱が起きて、その土地を略奪されるならば、どうして驚かないでいられようか。騒がないでいられようか。必ず大混乱を引き起こすであろう。国土を失い国が亡びてしまったならは、一体どこへ逃れて行けるであろう。あなたがすべからく一身の安堵を願うならば、まず一国の静穏・平和を祈るべきである。
2022.12.3