日蓮の先例「天台沙門日蓮から天台宗大批判の日蓮へ」「以前の主張と今の主張が真逆となるのは物事の経緯によっては当然である」

 

「教学要綱」を指して、「以前の教義と違うではないか」「日蓮教学と共に日寛教学を根幹に据えないのはおかしい」等と批判する方がいます。

このような方に対しては、「以前の主張と後の主張を180度変えた先例は誰あろう、導師日蓮であり、文句があるのだったら、そのような先例を示した日蓮に言うべきである」ということがいえるでしょう。

 

日蓮が「立正安国論」を以て北条時頼を諫めたとき、その名乗りは「天台沙門」でした。

(玉澤妙法華寺蔵日興写本)

 

ところが晩年の日興は、「遺告」で、他の老僧方を念頭に「天台沙門と仰せらる申状は大謗法の事」と指弾しています。

(日時の「三師御伝土代」で引用されている『日興上人御遺告』の記述)

 

表面だけを見たら「日興は師敵対か?」との疑念も湧いてしまうことでしょう。

 

ここに物事の次第、経緯、背景、展開を認識・理解する必要性というものがあるわけです。

 

文永11(1274)10月の第一次蒙古襲来「文永の役」を契機として日蓮は台密(天台密教)批判を展開し、それまで一定の配慮を見せていた天台宗に対しても密教に染まっているとして破折を続けるようになります。

一方、四十九院の供僧(ぐそう)として富士川流域の天台寺院で育まれながらも、師匠と呼吸を合わせるようにして天台寺院と相対するようになった日興と連なる人々、その妙法弘通と惹起した熱原法難。

 

日蓮の立教以降の対天台宗スタンスを見ると、

 

1「立正安国論」提出前後の天台沙門との名乗り

 

2天台宗再興を願う立場から天台・比叡山を叱咤しながらも他宗批判に重きを置く

(立正安国論、御輿振御書、法門申さるべき様の事)

 

3天台宗に対する一定の配慮

(開目抄)

 

4文永の役より激しい天台密教批判

(曽谷入道殿御書)

 

という展開になっており、始めと最後のスタンスだけを見れば、「これが同一人物か」と思われるような流れとなっています。

 

このような師匠の「対天台宗スタンスの変遷」を知り、また実際に天台寺院の僧侶らと相対した日興であればこそ、「天台沙門と仰せらる申状は大謗法の事」とする立ち位置になったことが理解できると思います。

 

これは「母体となっていた教団であっても、その誤りを認めたならば、あらゆる言葉を駆使して徹底破折する。それこそが慈悲である。また、師匠に呼吸を合わせて物事の本質を見抜かなければ、忽ちのうちに転落してしまう」と学べる先例ではないでしょうか。

これを今日の和合僧に当てはめれば、「日蓮正宗創価学会として学会は宗門外護の赤誠を尽くしてきたが、2度の問題を経て正宗は『法主・血脈信仰』が根幹の他宗教同然の状態であることを露呈した。中世以降に成立した教義を見て、聞いて、知ったからには日蓮という原点に還り、寺院教学を破折することが日蓮仏法の正道にして王道である」といえるのではないでしょうか。

 

 

※「天台沙門日蓮」から「天台宗破折の日蓮」へと立ち位置を変える過程で、評価が一変してしまった人物がいます。

 

恵心僧都源信[天慶5(942)~寛仁元年(1017)]です。

 

源信は第18代天台座主・慈恵大師良源の弟子。

師・良源の天台法華と念仏の融合思想を発展させて「厭離穢土欣求浄土」の念仏最勝を説き、更に「観想」と「称名」二つの念仏の内「観想」を重く見る念仏往生を説いて、43歳の時に「往生要集」一部三巻を著します。

 

立教から6年、正元元年(1259)頃の日蓮の認識は、源信が「往生要集」を著したのは「法華経に入らしめんがために造るところの書」(守護国家論)、「法華一乗への導入の書」()というものでした。源信の本意・立場は後に、64歳の時に著した「一乗要決」三巻での法華一乗思想、一乗真実三乗方便の教義確立にあったのであり、法華経こそが本意であった、というものです。

 

しかし佐後(佐渡以後)の「撰時抄」(建治元年[1275]6)では、「伝教大師は三論・法相・華厳等の日本の碩徳等を六虫とかかせ給えり。日蓮は真言・禅宗・浄土等の元祖を三虫となづく。また天台宗の慈覚・安然・恵心(源信)等は、法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり。これらの大謗法の根源をただす日蓮にあだをなせば、天神もおしみ、地祇もいからせ給いて、災夭も大いに起こるなり。されば心うべし。一閻浮提第一の大事を申すゆえに、最第一の瑞相これおこれり」と批判し、「台密批判の時代」に至ってその認識を変えたことがうかがわれます。

 

結局、源信は「阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして合掌しながら入滅した」とされており、これは終生念仏者であったことを示す伝承ではないでしょうか。浄土真宗では七高僧の第六祖を源信とし、七祖は法然房源空になっています。

源信は中古天台本覚思想の恵心流の祖ともされています。

 

 

源信評価に見られる日蓮のこのような「人物観」は、「昔言っていたことと現在言っていることが真逆でありおかしいではないか」との指摘の対象になるというよりも、「以前は『正しい宗教者である』と理解していたものが、その説くところが、実は誤れるものであると気づいたからには徹底破折する」という日蓮的な姿勢を示すものではないでしょうか。

 

2024.9.23