「教学要綱」への批判について 2

 

「創価学会教学要綱」を批判する方いわく

 

・池田名誉会長が、かの大阪大会で「大御本尊」と呼称されたのに、現在の創価学会は大を削り「御本尊」だけにしている。

これは師匠の心をねじ曲げ、真実を覆い隠そうとする改竄ではないか!

ましてや「教学要綱」では「文字曼荼羅」などという従来ではなかった表現をしており、おかしいではないか!

 

・日寛上人の御本尊を拝しながら、「創価学会教学要綱」に日寛教学を用いないのはおかしい! 創価学会が日興門流教学を捨てようとしている姿勢が「教学要綱」には鮮明であり、それは3代会長が指導してきた教学と精神を捨てるのと同じではないか!

 

 

・日寛上人は本門戒壇の大御本尊を書写したのであり、その日寛上人の御本尊を拝しながら、寺院教学は用いないといって日寛上人を軽んじたりするのは支離滅裂である

 

「大御本尊」との呼称表現について

 

日蓮が図顕曼荼羅を「いついかなる時でも大御本尊と呼びなさい」とした教示があるのでしょうか? 日蓮真蹟遺文を確認すると、 曼荼羅、漫荼羅、曼陀羅、御本尊、本尊、大曼荼羅(多くの図顕本尊讃文)、大本尊(万年救護本尊讃文)等の呼称表現がありますが、「大御本尊と呼称しなさい」との教示はありません。

 

日興の意を汲んで日澄が著した「富士一跡門徒存知の事」でも、本尊、御本尊と記述されています。故に御本尊や本尊、また本門の本尊、文字曼荼羅等と呼称するのは、現代の和合僧の判断によっても何の問題もない、むしろ当然といえるでしょう。

 

ましてや、和合僧に対して破門なるものを行い、「今後は無関係!」とした日蓮系一宗派で定着している「大御本尊」との呼称表現など、決別するのが道理というものです。

 

「僕、お寺から破門されました。でも、お寺の教えを守ってどこまても付いていきます」などは、お笑い劇場になってしまいます。

 

「教学要綱」はグローバルな教典

 

「創価学会教学要綱」を読むと、世界への布教展開における「グローバルな教典」として作成されたことが理解できると思います。

 

日蓮系一宗派の教義、ましてや私達に破門を行い(何の意味もありませんでしたが)、和合僧が拝する御本尊を「ニセ本尊、魔神の札、悪鬼の住処、精神に異常をきたす人が続出」等と罵る寺信者達に、学会批判の活力を与えている寺院教学から「創価学会教学要綱」が決別するのは、理の当然というべきでしょう。

 

グローバルな教典に、日本の一地方に総本山を構える一寺院の教学(唯授一人金口嫡々血脈相承や特定の本尊を拝まなければ成仏できない等の己義を構え、我が宗派以外は全て邪宗教と信者が元気いっぱいに他教団を罵る根源となっている寺信心教学)を載せることは考えられません。

 

この「教学要綱」の出来こそ、「3代会長が指導してきた教学と精神」をさらに昇華するものであり、霊山の3代もお喜びではないでしょうか。

 

 

和合僧が授与して会員が拝している御本尊について

 

私たち和合僧は「和合僧有縁の南無妙法蓮華経の御本尊」を拝しているのであり、そこには誰が書写した、誰が何を写した本尊である等ということを特別視したり、意識することはありません。

私達が拝しているのは「観心本尊抄」本尊段の相貌座配に連なる、「和合僧有縁の南無妙法蓮華経の御本尊」なのです。書写した人物を意識したり、書写した人物の自署を拝んでいるのではありません。

 

和合僧の信仰の対象・本尊は、「南無妙法蓮華経の御本尊」です。「観心本尊抄」本尊段の相貌座配や日蓮図顕曼荼羅の相貌に連なるのか否か、これが御本尊の基準ともいうべきものでしょう。もちろん「御本尊七箇相承」なる偽書など論外です。

 

ちなみに、日蓮は自らが手にしていた法華経の文字(文面)を誰が書いたのかを一々問題にしたり、また話題にもしなかったのであり、「何が書かれているのか」が肝要だったわけです。

誰が書写した法華経であるにせよ、その書かれている内容を重視した日蓮は、「法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、この経を信ずる者の前には滅後たりといえども仏の在世なり」(守護国家論)と教示しました。

「日蓮法華への信仰あるところ、釈迦牟尼仏(久遠実成の釈尊・久遠の本仏)が共に在る」というのが日蓮の教示です。

 

2024.9.15 

 

観心本尊抄

 

その本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士たる上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸の菩薩は万民の大地に処して雲客月卿を見るがごとく、十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏・迹土を表する故なり。
 かくのごとき本尊は在世五十余年にこれ無し。八年の間にもただ八品に限る。正像二千年の間は、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士となし、権大乗ならびに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等をもって脇士となす。これらの仏をば正像に造り画けども、いまだ寿量の仏有さず。末法に来入して始めてこの仏像出現せしむべきか。

 

 

文字曼荼羅の相貌座配の一例

 

弘安3年3

曼荼羅(81)

*通称

臨滅度時御本尊

*顕示年月日

弘安三年太才(たいさい)庚辰(かのえたつ)三月 □

*讃文

仏滅度後二千二百 二十余年之間一閻 浮提之内 未曾有 大漫荼 羅也

*相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊師利菩薩 南無普賢菩薩 南無弥勒菩薩 南無薬王菩薩 南無舎利弗尊者 南無大迦葉尊者 不動明王 愛染明王 大梵天王 釈提桓因大王 大持国天王 大増長天王 大広目天王 大毘沙門天王 大日天大王 大月天王 明星天子 第六天魔王 天照太神 八幡大菩薩 転輪聖王 南無龍樹菩薩 南無天台大師 南無妙楽大師 南無伝教大師 阿修羅王 大龍王 鬼子母神 十羅刹女 提婆達多 阿闍世大王

*寸法

161.5×102.7㎝ 10枚継ぎ