「教学要綱」における「三宝」について

 

「創価学会教学要綱」を読み、特に「三宝」について感嘆。

一読して、従来関係のあった日蓮正宗教学=大石寺教学という「日蓮以来数百年間にわたり僧侶の思想と思考を添加してしまった一日蓮系寺院にすぎない寺の教え・寺院教学」と完全に決別し、「久遠よりの信仰の清流を継承する正統にして正当なる教団であることを明示した三宝の確立」という印象を持ちました。

世界宗教を標榜する教団ならではの画期的な新展開だと思います。

 

創価学会教学要綱の「三宝」は一閻浮提広宣流布・立正安世界を志向しており、多くの人々が受容・尊信できる三宝を明示しているのではないでしょうか。

 

 

仏宝

 

「創価学会も、釈尊以来の仏法の伝統を受け継いで、三宝を重んじる」として、仏宝について「末法において人々が現実に成仏できる教えを説いた日蓮大聖人を仏宝として位置づけ」ています。

 

「釈尊に代わって末法の一切衆生を救済する大業を果たされた」と、鎌倉時代の仏教僧=日本人たる日蓮が、その「教理面を確立」したこと、「信仰実践=振舞」の上から仏宝と位置付けていることに感銘を受けます。

 

難解な寺院教学とその用語による仏宝の定義ではなく、世界の人々が一読して理解できる言葉で、釈尊・日蓮以来の信仰の清流が通う和合僧の意思により、上行菩薩の使命を全うした日蓮を末法の本仏とすることを宣言したのは宗教史に刻まれる一大画期ではないでしょうか。

 

 

法宝

 

「創価学会は、大聖人が覚知し説き示された一大秘法である南無妙法蓮華経を法宝として尊崇し、大聖人が顕された南無妙法蓮華経の御本尊を拝して、南無妙法蓮華経の題目を唱えるのである」として、南無妙法蓮華経こそが法宝であるとしています。

 

言葉を換えれば、久遠の彼方から未来永遠に至るまで、かたちはなくとも一大秘法として在(あ)る不思議にして妙なる存在ともいえる宇宙と生命を貫く根源の法、南無妙法蓮華経を法宝として定義したともいえるでしょう。

 

ここにおいて、信仰的には従来の「大石寺の板本尊信仰」からの完全決別を宣言したとも理解できるのではないでしょうか。

 

法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を、虚空会の儀式を用いてかたちとして顕した南無妙法蓮華経の御本尊は紙や板である故に、100万年、1000万年の時の経過に耐え得るものではなく、池田名誉会長が明言された究極として求められる久遠の法たる南無妙法蓮華経を法の宝としたのは、末法万年尽未来際を見つめた法宝の定義であると思います。

 

日蓮は「諌暁八幡抄」で、「今日蓮は去ぬる建長五年葵丑(みずのとうし)四月二十八日より、今弘安三年大歳庚辰(かのえたつ)十二月にいたるまで二十八年が間、又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計り也。此即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲也」と、立教以来、南無妙法蓮華経の流布に心血を注いできたその心情を明かしています。

 

また、「種種御振舞御書」では、「仏滅後二千二百二十余年が間、迦葉・阿難等、馬鳴・龍樹等、南岳・天台等、妙楽・伝教等だにも、いまだひろめ給はぬ法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろませ給ふべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり」と、南無妙法蓮華経を一閻浮提に弘めゆく先駆けが日蓮であるとしています。

 

そのような日蓮の志を継いで信仰実践面で南無妙法蓮華経を全世界に広めてきたのが創価学会であることは否定のしようがない歴史的事実でもあります。

 

それは即ち、既に創価学会は南無妙法蓮華経を法宝として尊崇してきたともいえ、教学要綱では創価学会による一閻浮提への妙法弘通の実践に基づき、南無妙法蓮華経を法宝として改めて明文化したともいえるでしょう。

 

 

僧宝

 

教学要綱では、「釈尊の本来の立場では、サンガを出家者だけに限定する理由はなく、信仰実践の上で出家・在家の区別を認めない日蓮大聖人の仏法においては、むしろ社会において実際に教えを実践し弘める在家者こそがサンガの構成員になるといえる」として、「現代において南無妙法蓮華経を正しく伝持する教団である創価学会が、僧宝に当たる」と定義しています。

 

日蓮の時代に妙法弘通に邁進したのは、師匠日蓮と一弟子六人を中心とした和合僧です。

令和の現代において、中途成立の寺院教学の邪義や己義の塵芥(ちりあくた)にまみれることなく、仏法の原点たる釈尊の思想及び日蓮の法門を継承し、一閻浮提の衆生に妙法を弘めているのが創価3代に連なる和合僧です。

 

会員一人一人は信仰実践面において、仕事と家庭、信仰活動を両立しながら布教活動に邁進して南無妙法蓮華経を弘めており、寺院にこもって民衆の実生活、苦悩と涙に寄り添うことの少なかった日本の仏教僧よりはるかに「本来の出家者・僧」としての役割を果たしてきたともいえます。

 

この和合僧の存在こそ仏教史上の奇跡ともいえ、社会に妙法を浸透させて仏法の慈悲の精神を流れ通わせている和合僧が、現代の僧宝たることは至極当然といえるでしょう。

 

以上、創価学会が世界宗教として飛翔するにあたり、その足腰が盤石となった=世界宗教である因を自ら確立した、教学要綱での三宝の明文化であると拝察しました。