「教学要綱」にある「永遠の仏・久遠実成の釈尊」に立脚して御本尊を意義付けた日蓮
「教学要綱」を批判する方々は、文中の「永遠の仏・久遠実成の釈尊」(p27)との表現と解説に関して「釈迦本仏論への誘引だ!」「隠れ釈迦本仏論だ!」等と破折?されますが、日蓮は自らが顕す曼荼羅の由来について「今この御本尊は、教主釈尊、五百塵点劫より心中におさめさせ給いて」(新尼御前御返事)と教示していることについて、どのように読み解くのでしょうか?
「教学要綱」を批判する方々も含めて、私達が朝晩拝する文字曼荼羅は、教主釈尊=久遠実成の釈尊・久遠の本仏が五百塵点劫という遠い彼方より心中におさめていた、と日蓮はその宗教的達観から自在に意義付けており、いわば
「久遠の本仏の胸中から日蓮へと託された御本尊である」
「御本尊は久遠の本仏の胸中を源流とする」
というのが日蓮の教説なわけです。
日蓮は「観心本尊抄」で、「かくのごとき本尊は在世五十余年にこれ無し。八年の間にもただ八品に限る」と従地涌出品第15から嘱累品第22までの8品に本尊が出現したとしていますが、鎌倉時代に至って初めて形として顕した、即ち日蓮の宗教的確信から創出されたのが独創的な文字曼荼羅です。
一方、同時代の顕密仏教寺院には金色に輝く仏像や優しい尊容の仏さま・菩薩さまが安置されており、それら本尊に手を合わせておすがりするのが一般的な信仰感覚、本尊観でした。そのような信仰世界にあって、料紙数枚に顕された日蓮の文字曼荼羅は初見の人にはどのように映ったでしょうか?
「え?これが仏さまなの?今までお寺で拝んできた仏さまとまったく違うのだけど、あの文字の何が有難いの?」と疑問を抱いたり、従来の仏菩薩像に慣れ親しんだ初信の人々の眼には見劣りのする「仏さま」と映ったことでしょう。
そこで日蓮は、自己独創の文字曼荼羅は久遠実成の釈尊・久遠の本仏由来の文字曼荼羅であり、仏教の正統にして正当なものであると意義付け、壮麗なる仏像群に勝るとも劣らない深いものであり、尊いものであるとすることにより、曼荼羅を拝する門下に安心感と宗教的確信を与えようとしたのではないでしょうか。
このような教えを新尼に教示したということは、この時期の日蓮は、同様のことを多くの門下に語っていたと考えて間違いはないでしょう。
日蓮の時代では、今日のように日蓮の教説を俯瞰しながら読み解くことはできないわけであり、日蓮の文字曼荼羅に縁した門下の人々は日蓮の口から発せられる教説を聞きながら、
「日蓮さまがお書きになったおマンダラは、遠い昔からお釈迦様の心中で温められ、末法の時に至って顕された有り難いご本尊さまだ。お釈迦様が日蓮さまに与えたというのだからすごいことだ」
という純朴にして、素直な心持ちに浸ったのではないでしょうか。当時の人々にとっては、朝晩拝する文字曼荼羅が、実は教主釈尊から一直線につながっているものということになり、そのような教説に感動もしたことでしょう。
「今この御本尊は、教主釈尊、五百塵点劫より心中におさめさせ給いて」
御本尊は教主釈尊=久遠実成の釈尊・久遠の本仏の心中から発し出だされたものである。
これが日蓮の教えなのです。
なお、「新尼御前御返事」には、「仏法は眼前なれども、機なければ顕れず、時いたらざればひろまらざること、法爾の道理なり。」とありますが、「教学要綱」が鏡となり、反発・批判する多くの方々の「寺院教学信仰のいのち」を映し出しているのも、「その時の到来」であればこそだと思うのです。
2024.9.15