佐渡始顕本尊に関する一考
1 「御本尊鑑」と「妙宗先哲本尊鑑」
文永10年7月8日付けの通称・佐渡始顕本尊(曼荼羅)について、「偽作である」と考える人がいる一方、「日蓮真蹟」として拝する人も多くいます。同一教団内でも様々な見解があり、真偽論については法華系教団を横断して二分されているかの感があります。
佐渡始顕本尊を護持してきた身延山では明治8年の大火により焼失しており、今となっては検証のしようもないのでどのような考察をするにしても、真偽どちらかに「断定」というのは難しいと思われます。
もちろん私も「断定」には遠く及ばないのですが、文永10年7月8日前後の日蓮の動向、書簡、その教示、そして取り巻く環境等を勘案すると、佐渡始顕本尊は「図顕せねばならない曼荼羅」であった、即ち「実在」したと考えています。
(1) 「御本尊鑑」の記録
「御本尊鑑 遠沾院日亨上人」P6(藤井教雄氏 1970年 身延山久遠寺発行)には以下のように記録されています。
顕示年月日
文永十年七月八日
讃文
右上より
「此経則為閻浮提人 病之良薬 若人有病 得聞是経 病即消滅 不老不死」
右下より
「文永八年太才辛未九月十二日蒙御勘 遠流佐渡国同十年太才癸酉 七月八日図之 此法華(日亨の模写は花)経大曼荼(日亨の模写は陀)羅 仏滅後二千二百二十余年 一閻浮提之内未曾有之 日蓮始図之 如来現在 猶 多怨嫉況滅度後 法華経弘通之故 有留難事 仏語不虚也」
霊宝目録
(朝師筆)
第一箱(四幅) 一、文永八年太才辛未九月十二日
乾師目録
一函四幅之内 文永十年太才癸酉七月八日絹地 総南無
(身延山久遠寺御霊宝記録)
宗祖御一代最初本尊也
亨師目録
西土蔵宝物録
一、第一長持 黒塗 井桁橘 金紋
内宗祖曼荼羅并祖書入
文永十年太才癸酉七月八日 絹地 総南無 宗祖御一代最初本尊也
幅尺
亨師筆 絹地巾二尺六寸一分(79.0cm) 長五尺八寸二分外沙続之(176.3cm)
亨師朱筆
五十二歳佐渡 此本尊宗祖発軫之大曼荼羅也
更に「妙宗先哲本尊鑑」(村上有信編 1884年 村上勘兵衛出版)、「日蓮聖人真蹟の世界・上P60」(山中喜八氏 1992年 雄山閣出版)にも佐渡始顕本尊が掲載されています。
(2)佐渡始顕本尊の相貌・座配
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝仏 南無分身等諸仏 南無善徳等諸仏
南無上行菩薩 南無無辺行菩薩 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 南無文殊弥勒等
南無舎利弗等声聞 不動明王 愛染明王 南無大梵天王等 南無釈提桓因等
南無持国天王 南無増長天王 南無広目天王 南無毘沙門天王 南無大日天等
南無大月天等 南無天照八幡等 南無四輪王 南無天台大師 南無伝教大師
南無阿修羅王等 南無鬼子母神 南無藍婆 南無毘藍婆 南無曲歯 南無花歯 南無黒歯
南無多髪 南無無厭足 南無持瓔珞 南無皇諦 南無奪一切精気