他教団の本尊を「ニセ本尊」と罵る人につけるクスリ

 

日蓮正宗の皆さんが創価学会の本尊をニセ本尊とする根拠は、「日蓮正宗が唯一絶対無二の正法である」ということが前提にあります。その「正法」の根拠として「歴代法主(猊下)の血脈相伝」「日蓮出世の本懐である本門戒壇の大御本尊」が存在していることになっています。

故に、「血脈相伝の猊下様より授与されていない、猊下様の開眼もない、在家の学会が勝手に授与している本尊はニセ本尊である。本物に似ている故に、その罪は一段と重いのだ」等と主張します。

 

これらは大いなる勘違いに基づく的外れな言いがかりであり、「ひとり言」というべきでしょう。

 

 

1 内外の区別をつけよう

 

創価学会は日蓮正宗の信徒団体ではありません。

平成3年に破門なるものをされて以降、日蓮正宗と創価学会は何の関係もない別宗教法人であり、別宗教団体です。

創価学会が他教団から本尊について、とやかく言われる筋合いはありません。

日蓮正宗内の約束事に縛られる必要も全くありません。

かかる主張は、宗内の在家が勝手に本尊を授与した時に言うべきことでしょう。

彼らは宗内と宗外の区別がつかないのでしょうか。

宗内だけに通用する話を外に出しても、なんの意味もないということを知るべきでしょう。

 

 

2 未だになされない「正法」としての根拠の証明

 

日蓮正宗が創価学会を邪教とし、授与の本尊をニセ本尊と批判する前提としての「唯一絶対無二の正法」の証明が全くなされていません。日蓮とは関係ない己義を構える自称・日蓮正統が他の教団を罵るなど、笑い話にほかなりません。

 

日蓮正宗は直ちに以下の事項、即ち正法である根拠を、外部の人が納得理解できるように証明すべきです。できなければその教義は「神話」というよりも「夢物語」にすぎないということになります。

 

・日蓮が弘安21012日に本門戒壇の大御本尊造立に関わり、自身の出世の本懐であると意義付けた、解釈論ではないそのものズバリの明確なる証拠と教示。

 

・日蓮が唯授一人金口嫡々血脈相承、法体の血脈・金口の血脈なるものにより、自らの内証の継承、日蓮仏法の継承を志向していた証拠。

 

・日蓮が実際に唯授一人血脈相承を行った証拠。

 

・唯授一人血脈相承なるものを主張する大石寺法主に実際に伝わっているという、自主申告ではない直接の証拠。

 

 

3 日蓮正宗の主張

 

    「創価学会も以前は信仰していたではないか。それが破門されたからといって手のひらを反すのは道理に反している。日蓮正宗は何も変わっていないのだ。変質して異流儀化したのは創価学会だ」

 

⇒いつまで創価学会に「おんぶに抱っこ」してほしいのでしょうか。

日蓮正宗が創価学会を破門したということは、「今後は関係なし。どうぞご自由に」ということと同義になります。

 

ここにおいて、創価学会が従来の教義について「日蓮教学と寺院教学を分別」して見直し、結局は「絶対の本尊と絶対の人物をつくり、本尊を拝みにいかなければ成仏できない、法主に信伏随従しないのは増上慢である」等という「寺院教学」から決別し、一地方の田舎寺に戻った日蓮系一寺院の教学の手枷、足枷を外して世界宗教を志向していくことこそ、道理であり、諸天の計らいであったというべきでしょう。

 

様々な問題・事象がありながらも、創価学会が「立てて守ってやっていた」ことに未だにすがらなければならないとは、恥ずかしいと思いませんか。

 

「昔の創価学会がどうのこうの」は文字通り、昔話です。

自ら破門しておいて、それでも「寺院教学の教義を守れ」のご都合主義こそ、道理に反するものでしょう。

 

 

 

  「日寛上人の御本尊を拝みながら、日寛上人の教えを寺院教学と貶め用いない、批判するのは悩乱の極みではないか」

 

創価学会が拝しているのは「創価学会有縁の南無妙法蓮華経の御本尊」です。

一方で、誰人の教示であれ「絶対の本尊礼拝による成仏を主張して寺院参詣を促す=絶対の本尊を尊信しなければ成仏できない教学、また僧侶を僧宝として敬わさせて信伏随従させる=僧侶を批判すれば僧宝破壊・三宝破壊となる教学」から離れるのは、別宗教団体となった以上当然のことであり、しかもその教学の内実が「日蓮と無関係」であれば猶更のことです。

 

そもそも、日蓮仏法は「紙切れによる継承」等という小さなものではなく、「信仰実践による継承」こそが主眼であるというべきでしょう。

 

 

4 文永11年から文永12年への展開

 

日本国亡国の危機にあった文永11(1274)から文永12・建治元年(1275)にかけての、日蓮と一門の動向を思い起こしてみましょう。その展開は実にダイナミックなものがあります。

 

日蓮は身延の山中で、「文永の役」の蒙古襲来による壱岐・対馬の惨状を伝え聞きます。

「このままでは亡国である、既存の神仏に救いなし」として、それまで遠慮していた出身母体、天台宗・台密への徹底批判を開始します。

 

ということは、「伝統教団がだめならば、どこに救いが、成仏が、慈悲の世界がある?」ということになります。

日蓮の返答は明快です。

 

「ここにある万年救護本尊の讃文を見よ」

そこには『大本尊』とあり、末法の衆生を成仏せしむるのが南無妙法蓮華経にして、帰命する本尊は釈尊像ではなく妙法曼荼羅本尊・南無妙法蓮華経の御本尊であることが明確になります。

 

そこで湧きおこる疑問が、

「次なる蒙古襲来は必定にしても、何が故にこのような曼荼羅に救いがあるのか?」

というものです。

 

その答えも、「新尼御前御返事」に明瞭に記しています。

大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難竝びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時~諸人皆死して無間地獄に堕つること、雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱るべしと仏記しおかせ給ひぬ。

 

「一を聞いて十を知るべし」とありますが、新尼御前にかように語ったということは、日蓮の常の語らいと知るべきでしょう。

諸人皆死して無間地獄に堕ちようとも、妙法にこそ死の彼方の生にしてそこに再生、新生の道があるのだと。

 

ここから、

滅びの瀬戸際でこそ人は本気になる。

本気の一人から新しい何かが生まれる。 

それが眼前となる時、新しい信仰のかたちが創出される。

と学べるのではないでしょうか。

 

 

5 建治末から弘安初期の展開

 

建治末から弘安初期の日蓮と一門の姿にも学ぶところが大いにあります。

 

建治から弘安にかけての疫病、死者の人肉を食らい「一国が大悪鬼となれり」(松野殿御返事・建治4213)の飢饉のただ中でも、身延山では師匠日蓮の法華経講義は続けられ、実相寺、四十九院、竜泉寺等の富士川流域での法華勧奨は日興を中心に活発化し、建治4223日の「三沢抄」では佐前・佐後を明かして第七の大難・天子魔との戦いを説き、一閻浮提に流布する大法を説示します。

 

「立正安国論」には亡国の因たる密教への批判を加え(建治の広本)、公場対決の機運が高まるや「日本国一同に日蓮が弟子檀那となり~一閻浮提皆此の法門を仰がん」と宣言し(諸人御返事)、呼応する弟子は「四十九院申状」で幕府に訴えます。

夫れ、仏法は王法の崇高によって威を増し、王法は仏法の擁護によって長久たり。

中略

去ぬる文応年中、師匠・日蓮聖人、仏法の廃れたるを見、未来の災いを鑑み、諸経の文を勘えて、一巻の書〈立正安国論〉を造る。異国の来難、果たしてもって符合し畢わんぬ。未萌を知るは聖と謂うべきか。

中略

第三の秘法、今に残すところなり。これひとえに、末法闘諍の始め、他国来難の刻み、一閻浮提の中に大合戦起こらんの時、国主この法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり。経文赫々たり、所説明々たり。

 

「妙法の功徳を説く日蓮一門が何故に疫病にかかり死ぬのか」との疑問にも丁寧に答え(治病大小権実違目・富木入道殿御返事)、阿仏房の三度目の身延登山には飛び上がらんばかりに抱きかかえ、妙法曼荼羅における天照太神・八幡大菩薩の二神の位置は定まり(御本尊集No49「弘安元年太才戊寅七月 日」以降)、「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」(本尊問答抄)と末法万年の衆生が合掌礼拝する本尊とは何かを明示します。

 

「いよいよ道心堅固にして今度仏になり給へ」(四條金吾殿御返事・所領書)と一人一人が仏と成ること、即ち成仏・幸福境涯の確立を願い、疫病と飢饉の死地を超えた信仰のかたちと大いなる祈りをタテ234.9×ヨコ124.9㎝ 大小の紙29枚継ぎの巨大な曼荼羅として図顕するのです。

 

このような展開からは、

人は危機の時は必死になる。本気になる。

いつ命が尽きるかもしれないから遠慮がない、本当のことを訴える。

未来へ伝えようと明確に書き残す。

ということが学べるのではないでしょうか。

 

 

「日蓮仏法はただ一人への血脈なるものではなく、和合僧の実践の中でこそ継承されるものである」

 

 

師匠日蓮の妙法弘通に呼応した弟子たちの奮闘が、そのことを教えてくれているのではないでしょうか。

 

2024.5.26