仏教の歩みに思う

 

偉大なる覚者は、その時代の民衆と共に出現します。そして次代の求道者がその覚者の精神世界を探求し、覚者を「同時代を生きる導師・永遠の救済者」として再発見します。

 

バラモン教が形づくられてきたとはいえ、苦悩の衆生が充満する時代にガウタマ・シッダールタは求め求められ「心に届く言葉」を紡ぎ出しました。

時代の変遷の過程で、求道者は小乗、大乗経典を編纂し、ガウタマ・シッダールタを北インドに誕生した釈迦族の聖なる人・釈尊として尊信するようになり、経典の編纂作業は時代の民衆の祈りと求めに(機根)に応じるかのように求道者の悟達を促し、それは新たなる覚者による言葉の創造へと昇華され、彼は自らの名を残すことなく創造せし経典世界の釈尊と同一化し「久遠の本仏」との邂逅へと至り、今日の仏教の基礎を創りました。

 

創造されし仏教は、インド・ネパールからアジア各国へ、中国へ、チベットへと伝わり、その過程で、森林の緑が経典の彩りとなり、渓流・大河の流れが経典の水脈となり、砂漠の飢え、乾き、砂塵が経典に強さを加え、国境の険しき山脈、山又山の雄大さがそのまま、経典をそびえ立つ大山へと成長させ・・・・と、生命の経典は大地により、水により、火により、風により、国土の空の慈愛により、更に民衆の喜び・悲しみ・涙・汗・血・生と死・生活の営みにより、新たなる価値を付加され、休むことなく歩き続けました。

 

末法の相「戦乱・社会騒乱・天災地変・飢餓と疫病」が極まった時、民衆の音声(おんじょう)に呼ばれるが如く・国土の響きに応ずるが如く人間・日蓮が出現し、民衆を、国土を、一閻浮提を「仏教を仏法とした妙法」でつつみ、つつんだ日蓮自身も歴史のリズムにつつまれ育まれ「末法の本仏」として、「永遠の導師」として蘇り、常に私達の生命に生き続けています。

 

今の人、明日の人、未来の人・・・と、求めるものは変わります。

(とど)まることはありません。

時の力が、民衆の音声(おんじょう)がその時代の求道者の悟達を促し、新たなる導師と新たなる人々により、いのち輝く経典が創造されてゆくのではないでしょうか。

 

 

 

2024.5.24