互為主伴について
堀江 瑛正氏の論考「左京阿闍梨日教における教主論の一考察 ― 互為主伴の法門を中心として -」に学びながら
◇日教の著作において、日蓮本仏論について一瞥すると「互為主伴(ごいしゅばん)」 という語を用いて論が展開されていることに気づく。
執行海秀氏 「興門教学の研究」
日教が帰伏した大石寺日有は、末法信行論の立場から「師弟相対」の日蓮本仏義を主張。
日教は「互為主伴」の法門を強調、釈尊と上行菩薩を師弟の互為主伴の関係にみなし、上行菩薩の化身たる日蓮は釈尊の師匠であるという論法によって日蓮本仏義を立てている。
◇「互為主伴」の語句は日蓮遺文においては確認できないが、日蓮が諸経論釈の要文を注記した『注法華経』には書き入れがある。
『広説仏教語大辞典』での互為主伴の解説
互いに主となり客となること。蓮華蔵世界の大小の釈迦が互いに主・客となり、金剛界と胎蔵界との諸尊が互いに主・客となるような場合をいう。
◇互為主伴の初出(しょしゅつ)は『華厳五教章』である。
『華厳五教章』は法蔵の四十歳頃の著作とされ、『華厳経』の教えを一乗と規定して、全仏教を五種に分け、第五の円教が華厳の一乗に相当とするとし、唯識法相宗の教えがはるかに低いことを論証するものである。
◇妙楽大師湛然(711~782 唐代の天台宗第6祖)の『法華玄義釈籤』 『法華文句記』の二書に、互為主伴の表記がある。
『法華玄義釈籤』と『法華文句記』では、『華厳経』 の教えを解釈するための語句として「互為主伴」が用いられ、この語句を元として法門を立てるような展開は確認できない。
◇日蓮の『注法華経』への互為主伴の書入れは4ヶ所確認される。
・妙法蓮華経 授記品第六
ここで用いられる互為主伴は『華厳経』解釈の語句として用いられている。
・妙法蓮華経 見宝塔品第十一
『華厳経』に説かれるところは迹仏の主伴であり、仏を来集するものではなく、主伴の伴は仏の分身ではないとする。
・妙法蓮華経 従地涌出品第十五
紙裏に『法華玄義釈籤』の一文が注記されており、この一文は化主と眷属は一身と無量身が互いに主伴となり、同であり不同であるが、『華厳経』ではその分身説を覆していると述べられる部分にある。『法華経』の分身説とは相違していることを指摘する箇所となっている。
・妙法蓮華経 如来寿量品第十六
ここでは『梵網経』等の三種の結経はその義は同じであり、最要のものであるとして、『華厳経』には十方世界に台葉があり、それぞれの釈迦が互いに主伴となることが説かれるが、『梵網経』にはただ一台葉とあり、智顗の『梵網菩薩戒経義疏』では、華台 ・ 華葉は本迹のことであるとしている。
日蓮の互為主伴の表記は、あくまでも『華厳経』の解釈として用いられた語句であることが確認できる。
◇日蓮以後
・三位日順
・慶林坊日隆
◇日教の互為主伴
京都における日叶としての時代
「百五十箇条」
十 本門の教主釈尊の事
釈迦二度の出世なり、此の下種の導師を以つて本門教主釈尊と申すなり、さてこそ宝塔の中の釈迦多宝塔外の諸仏上行等の四菩薩脇士と成るべし云云、是こそ互為主伴なれ~只本門の教主釈尊とは日蓮聖人の御事なりと申し募るなり~
百三七
~就中、本門取要抄に末法の中に日蓮を以て正と為すなり、法華行者の正也・去る時は釈迦と日蓮と互為主伴し玉ふと存すべきなり。
大石寺帰伏後の日教としての時代
「類聚翰集私」
四、諸宗先づ本尊を定むる事
本尊に於いて下種脱益の不同有るを皆本尊に迷ふ、釈迦は在世の正機の為の御本尊なりけるが・復至他国して遺使還告有る上は・脱益の師と下種の師匠と有つて入滅したまへども別付属有つて・正像末の中に末法の本尊は日蓮聖人にて御座すなり。
然るに日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ぎ其の次ぎに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生れ代りて出世したまふ故に、生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等卅二相八十種好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ、此の本尊を口には云へども身に行ぜずば本尊を取り定むべき事なり、釈尊と聖人と互為主伴したまふ事を知らざるなり、能く能く明らむべき事なり、此等の事も追つて下に書くべきなり。
2024.9.15