メモ 7

 

早朝の勤行唱題で気が付いたことを忘れずにメモ。

 

『宗教的真実は学問的・科学的・物理的・歴史的事実を上書き、即ち超越する。

学問的事実を超越した宗教的真実は、時代の人々の精神を耕し万人の生きる灯明ともなる。

更には、新たなる人による新たなる文化・芸術・思想そして歴史の開花へと至る』

 

例えば、イスラエルのガリラヤ地方・ナザレの大工ヨセフの息子として生まれたイエス。

彼の教説、活動は、一説では厳格な戒律に縛られたユダヤ教の人々・庶民大衆を解き放つものとなり、ユダヤ教の指導者がローマ帝国の第5代ユダヤ属州総督に告発。結果、磔による死刑となります。

 

生前のイエスは三つの奇跡を起こしたとされ、それが聖書に記されています。

5つのパンと2匹の魚を5,000人の人々に分け与え、お腹を満たした。

未亡人の亡くなった息子を生き返らせた。

水上を歩いてこられた。

 

当然のことながら、科学的、物理的、即ち学問的にはどれもあり得ない話なわけです。しかしながら、イエス亡き後に形づくられたキリスト教団の人々にとっては、

「神の愛は人類に等しく分け与えられている」

「神の愛の光は世の人々をどこまでも温かく包まれる」

「神の愛は人間世界に存在するあらゆる美しい言葉を以てしても言い表せるものではない」

「神の愛を一身に体現された偉大なるイエスさま」

となり、信仰心はどこまでも高まっていきます。

 

そこでは学問的な事実・証明などは、もうとっくにどうでもいい話となっており、『信仰的な真実』こそが人々の精神を耕し高揚させ、その豊穣なる心田が芸術、文化の糧となってきたのは歴史の教科書で学んできたとおりです。

 

私に置き換えれば、仕事で新規開拓するために多くの企画提案書を作成し、プレゼンを行うわけですが、人に相対する時のその心は「御義口伝」の「鏡に向かって礼拝をなす時、浮かべる影また我を礼拝するなり」であり、「策や方法ではなく誠心誠意で真正面から挑む」というものです。

 

結果として多くの仕事をいただき、そこから新たな雇用が生まれ、多くの人々の生活の糧となっていきますが、その源流に私という一人の人間、その人間を支える「御義口伝」の言葉という存在があります。ここにおいて、冒頭の「宗教的真実は学問的・科学的・物理的・歴史的事実を上書き、即ち超越・・・」へと至るわけです。

 

「御義口伝」の言葉が泉となり、億単位の仕事が生まれ、多くの人々の生活の糧となる。

一方では、「御義口伝なんて偽書に騙されてよ、愚民どもが。日蓮の品位を汚す偽書にうぬぼれる愚民は宗教の餌だね」等とバカにしている人々は、それを朝から晩まで、いや一生言い続けたところで1円にもなりませんし、自己満足に浸るだけで無駄な時間を浪費しているといえるでしょう。

 

もちろん建治年間、日蓮は身延の山中で法華経講義を行っていますので、その講義を記した文書が伝来しているのは自然なことですが、現代の和合僧を構成する人々の信仰実践と体験により、「御義口伝は日蓮を源流とする信仰の清流に加わり、大河の流れそのものとなった」といえるのではないでしょうか。

 

『宗教的真実は学問的・科学的・物理的・歴史的事実を上書き、即ち超越する。

学問的事実を超越した宗教的真実は、時代の人々の精神を耕し万人の生きる灯明ともなる。

更には、新たなる人による新たなる文化・芸術・思想そして歴史の開花へと至る』

 

 

やはり、多くの人々が言いますが、「早朝こそ閃きの時間」ですね。