メモ 2

 

◇佐渡御書  文永九年三月

螢火が日月(にちがつ)をわらひ・蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり・烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし・わらふなるべし。

 

 

正師と邪師、善師と悪師

最蓮房御返事

しかるに、今時は、師において正師・邪師、善師・悪師の不同あることを知って、邪悪の師を遠離し、正善の師に親近すべきなり。たとい、徳は四海に斉しく、智慧は日月に同じくとも、法華経を誹謗するの師をば悪師・邪師と知って、これに親近すべからざるものなり。

 

 

◇誤れるリーダーに率いられた姿

報恩抄

国の長とある人、東を西といい、天を地といいいだしぬれば、万民はかくのごとくに心うべし。後にいやしき者出来して、『汝等が西は東、汝等が天は地なり』といわば、もちうることなき上、我が長の心に叶わんがために、今の人をのりうちなんどすべし。

 

 

◇悪現証論を戒める

報恩抄

ただし、古の人々も不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正はそれにはよらず。外道が、あるいは恒河を耳に十二年留め、あるいは大海をすいほし、あるいは日月を手ににぎり、あるいは釈子を牛羊となしなんどせしかども、いよいよ大慢をおこして生死の業とこそなりしか。

 

 

◇まずは道理と証文

三三蔵祈雨事

日蓮、仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。また道理・証文よりも現証にはすぎず。

 

 

 

◇題目一遍で成仏

法華経題目抄(妙の三義の事) 文永316

問うて云わく、法華経の意をもしらず、ただ南無妙法蓮華経とばかり、五字七字に限って一日に一遍、一月乃至一年・十年・一期生の間にただ一遍なんど唱えても、軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかず、ついに不退の位にいたるべしや。

答えて云わく、しかるべきなり。 

 

 

◇後代成立の寺院教学を信じるのではなく日蓮法華を信じのが正道

十字御書 弘安415

我ら凡夫は、まつげのちかきと虚空のとおきとは見候ことなし。我らが心の内に仏はおわしましけるを知り候わざりけるぞ。・・・・・・・

今、日本国の、法華経をかたきとして、わざわいを千里の外よりまねき出だせり。これをもっておもうに、今また法華経を信ずる人は、さいわいを万里の外よりあつむべし。
影は体より生ずるもの。法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうがごとくわざわい来るべし。法華経を信ずる人は、せんだんにこうばしさのそなえたるがごとし。またまた申し候べし。

 

 

◇日蓮の広宣流布観

 

➀ 舎衛の三億・舎衛国

教機時国抄  弘長2年2月10日

日本国は一向に法華経の国なり・例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如し、又天竺には一向に小乗の国・一向に大乗の国・大小兼学の国も之有り、日本国は一向大乗の国なり・大乗の中にも法華経の国為る可きなり

 

② 広宣流布は流れ自体 不軽菩薩の折伏を広宣流布と・・・正に流れ即広宣流布

顕仏未来記

此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も・其の意是れ同じ・彼の像法の末と・是の末法の初と全く同じ・彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり。

 

③ 広宣流布は全国民の入信ではない・念仏流布の如く

撰時抄    建治元年

彼の大集経の白法隠没の時は・第五の五百歳・当世なる事は疑ひなし、但し彼の白法隠没の次には・法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の一閻浮提の内・八万の国あり・其の国国に八万の王あり・王王ごとに臣下並びに万民までも・今日本国に弥陀称名を四衆の口口に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり。

 

撰時抄 

此の念仏と申すは雙観経・観経・阿弥陀経の題名なり、権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや、心あらん人は此れをすひしぬべし、権経流布せば実経流布すべし・権経の題目流布せば実経の題目も又流布すべし、

 

妙密上人御消息    建治2年3月 

いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩・世に出現し給はず、此の人・末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中(うち)・国ごと人ごとに弘むべし、例せば当時・日本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべきか。

 

④ 文上読みは日蓮の真意を貶める・全員念仏?

一谷入道御書    建治元年5月8日 

一向に阿弥陀仏を念ずる人人は既に釈尊仏を捨て奉る色顕然なり~此の不孝の人人・一人二人・百人・千人ならず一国・二国ならず・上一人より下万民に至るまで日本国皆こぞりて一人もなく三逆罪の者なり、

 

神国王御書

第三十代は欽明天皇・此の皇は第二十七代の継体の御敵子なり・治三十二年、此の皇の治十三年[壬申]十月十三日[辛酉]百済国の聖明皇・金銅の釈迦仏を渡し奉る、今日本国の上下万人一同に阿弥陀仏と申す此れなり

 

⑤ 文上読みは日蓮の真意を貶める・全員真言?

本尊問答抄 弘安元年9月

其の後日本国の諸碩徳等・各智慧高く有るなれども・彼の三大師にこえざれば今・四百余年の間・日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬ

 

富木殿御書 建治元年

今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆・上主上・上皇より下・臣下・万民に至るまで皆一人も無く弘法・慈覚・智証の三大師の末孫檀越なり

 

曾谷二郎入道殿御返事 弘安4年7月

問うて云く三大師とは誰人ぞや、答えて日く弘法・慈覚・智証の三大師なり、~然れば則ち日本国・四百余年の間・上一人より下万民に至るまで之を仰ぐこと日月の如く・之を尊むこと世尊の如し

 

⑥ 文上読みは日蓮の真意を貶める・全員禅宗?

妙法比丘尼御返事  

禅宗と申すは・又当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給うて・父母よりも重んじ神よりも御たのみあり、されば一切の諸人頭をかたぶけ手をあさふ、

 

 

◇言葉の大切さ

三世諸仏総勘文教相廃立 弘安2年10月 

言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり

 

 

◇態度を戒める

教行証御書 

雑言・強言・自讃気なる体人目に見すべからず浅しき事なるべし、

 

 

◇仏教をもつて仏教を失う

題目弥陀名号勝劣事

仏教をもつて仏教を失ふこそ・失ふ人も失ふとも思はず・只善を修すると打ち思うて又そばの人も善と打ち思うてある程に・思はざる外に悪道に堕つる事の出来候なり、

 

 

◇師によりて我が心のまがるをしらず

三沢抄  建治4年2月

仏法をばがくすれども・或は我が心のをろかなるにより・或はたとひ智慧はかしこきやうなれども師によりて我が心のまがるをしらず、仏教をなをしくならひうる事かたし

 

 

◇目覚めたときに後悔するであろう

佐渡御書

今・謗法の酔さめて見れば、酒に酔る者・父母を打て悦しが・酔さめて後・歎しが如し、歎けども甲斐なし、此罪消がたし