9 佐渡始顕本尊偽作説について

 

(1)他の曼荼羅讃文との比較

佐渡始顕本尊偽作説の主なものに、「讃文に注目すべきである。同時期の曼荼羅讃文と比較すると明瞭となるが、佐渡始顕本尊の讃文は特異であり、文永1078日の時点で日蓮がこのような讃文を書くであろうか」というものがあります。

 

佐渡始顕本尊の讃文

此法花経大曼陀羅 仏滅後二千二百二十余年一閻浮提之内未曾有之 日蓮始図之

如来現在 猶多怨嫉 況滅度後 法花経弘通之故 有留難事 仏語不虚也

 

讃文では、

『仏滅後、二千二百二十余年を経過した今、一閻浮提の内に未だ出現したことのない未曽有の法華経の大曼荼羅を、日蓮が始めて図顕しました。法華経法師品に予言された「如来の現在、釈尊在世ですら此の経を弘める者に対しては、猶怨嫉が多いのです。ましてや如来滅後においては尚更である」との大難を蒙って、日蓮が仏語を証明しているのです。』

 

旨を記しています。

 

まずは参考に、文永810月以降の曼荼羅脇書、讃文などを確認してみましょう。

 

1 文永8109

通称・楊子御本尊 

文永八年太才辛未 十月九日 相州本間依智郷 書之

 

2 文永9616

於佐渡国 図之 文永九年太才壬申 六月十六日

 

3-1 系年不明

「佐渡百幅の御本尊」と通称される

讃文なし

 

3-2 系年不明

讃文なし

 

3-3 系年不明

讃文なし

 

4 系年不明

讃文なし

 

5 系年不明

讃文なし

 

6 系年不明

讃文なし

 

7 系年不明

讃文なし

 

8 系年不明

通称・一念三千御本尊

当知身土一念三千故 成道時 称此本理一身一念遍於法界

 

9 系年不明

通称・女人成仏御本尊

 

10 系年不明

通称・楊子御本尊、船中御本尊

 

11 文永116

我所説経典 無量千万億 已説今説当説 而於其中 此法花経 最為難信 難解

已今当妙 於茲固迷 舌爛不正 猶為花報 謗法之罪 苦流長劫

今此三界皆是我有 其中衆生悉是吾子 而今此処多諸患難 唯我一人 能為救護

而此経者 如来現在 猶多怨嫉 況滅度後

一切世間 多怨難信 前所未説 而今説之

 

12 系年不明

讃文なし

 

13 文永11725

大覚世尊入滅後二千二百二十余年之間 雖有経文一閻浮提之内未有大曼陀羅也 得意之人察之

ここでは、

『大覚世尊が入滅された後、二千二百二十余年の間、今に至るまで教相上法華経の経文(観心本尊抄で「是くの如き本尊は在世五十余年に之無し、八年の間但八品に限る」と示された法華経従地涌出品第十五から嘱累品第二十二の八品)には有るが一閻浮提の内に未だ出現しなかった未曽有の大曼荼羅が、今始めて出現するのであり、この深き意義を得意せよ』

と記されています。現存真蹟曼荼羅では、初めての長文の讃文となります。

 

14 文永1111

讃文なし

 

15 文永1111

讃文なし

 

「日亨本尊鑑」(P8)  4 文永1111

同日三幅 底本(3)

模写本尊

讃文なし

 

「日亨本尊鑑」(P10) 第5 文永1111

同日三幅 底本(4)

「日蓮聖人真蹟の世界・上」(P82)

模写本尊

讃文なし

 

「日亨本尊鑑」(P12)  第6 文永1111

同日三幅 底本(2)

「日蓮聖人真蹟の世界・上」(P82)

模写本尊

讃文なし

 

16 文永1112

万年救護御本尊

大覚世尊御入滅後 経歴二千二百二十余年 雖尓月漢 日三ヶ国之 間未有此 大本尊 或知不弘之 或不知之 我慈父 以仏智 隠留之 為末代残之 後五百歳之時 上行菩薩出現於世 始弘宣之

 

ここでは、

大覚世尊(釈尊)が入滅された後、二千二百二十余年が経歴しますが、月漢日(インド、中国、日本)の三箇国では未だなかった大本尊です。日蓮以前の月漢日の諸師は、或いはこの大本尊のことを知っていましたが弘めず、或いはこれを知ることがありませんでした。我が慈父(釈尊)は仏智を以て大本尊を隠し留めて(=釈尊より上行菩薩に譲られ)、末法の為にこれを残されたからなのです。後五百歳の末法の時に、上行菩薩が世に出現して、初めてこの大本尊を弘宣するのです。

旨が示されています。

 

日蓮は万年救護本尊讃文に初めて「上行菩薩出現於世始弘宣之」と認めるのですが、これは「観心本尊抄」における「此の時地涌千界出現して」の上首・上行菩薩とは、自身に当たることを宣したものといえるでしょう。更に曼荼羅とは本尊であることを明示していることも重要です。

 

ただし、「日蓮=上行菩薩」であることを各方面への書状や著作で明らかにしたわけではなく、この「大本尊」にのみ示されているものなので、日蓮が書かれた上行菩薩の意味を理解したのは、身延の草庵を訪れて「大本尊」を拝し得た弟子・檀越に限られたことでしょう。

 

この曼荼羅について山中喜八氏は、

「此の御本尊もまた極めて重要なる御内観を示したまえるもの」

「すなわちその特一無比の御讃文に於て御自身の本地を顕発したまうとともに、本国土妙の代表たる天照・八幡二神の本地をも示されたのであって、かくの如き儀相は他に全く拝することができない。」とされています。

 

山川智応氏は、

「本因妙・本国土妙御顕発の御本尊」

と解説しています。

 

「日亨本尊鑑」(P16) 第8 文永1112

文永十一年十二月御本尊 底本(6)

「日蓮聖人真蹟の世界・上」(P50)

模写本尊

讃文なし

 

「日亨本尊鑑」(P20) 第10  文永1248

文永十二年卯月八日御本尊 底本(29)

真如院日等臨写本・「日蓮聖人真蹟の形態と伝来」 (P6167)

模写本尊

仏滅後二千二百三十余年之間 一閻浮提之内未有大曼陀羅也

 

20 文永124

仏滅後二千二百卅余年之間 一閻浮提之内未有大曼 陀羅也

 

21 文永124

仏滅後二千二百三十余年之間 一閻浮提之内未有大曼陀羅也

 

22 文永124

仏滅後二千二百三十余年之間一閻浮 提之内未有大曼陀羅也

 

23 文永124

仏滅後二千二百三十余年之間 一閻浮提之内未有大曼陀羅也

 

24 文永124

仏滅後二千二百卅余年之間 一閻浮提之内未有大曼陀羅也

 

文永8年から同12年にかけての讃文は以上であり、佐渡始顕本尊の「此法花経大曼陀羅 仏滅後二千二百二十余年 一閻浮提之内未曾有之 日蓮始図之」のような讃文は、文永12年までは見られません。ここから「文永1078日にかような長文、かつ特異なる讃文を有する曼荼羅を日蓮が図顕するものだろうか」と指摘されるわけです。

 

 

(2) 長文の讃文

以下は再掲となりますが、文永11725日、No13曼荼羅に初めて、

「大覚世尊入滅後二千二百二十余年之間 雖有経文一閻浮提之内未有大曼 陀羅也得意之人察之。甲斐国波木井郷 於山中図之」

と「仏滅後」を「大覚世尊入滅後二千二百二十余年之間」とした長文の讃文が記されます。

 

文永1112月のNo16万年救護御本尊では、

「大覚世尊御入滅後 経歴二千二百二十余年 雖尓月漢 日三ヶ国之 間未有此 大本尊 或知不弘之 或不知之 我慈父 以仏智 隠留之 為末代残之 後五百歳之時 上行菩薩出現於世 始弘宣之。甲斐国波木井郷於 山中図之」と、独特の意を含む讃文が記されます。

 

文永1248日の「日亨本尊鑑」(P20) 第10 文永十二年卯月八日御本尊に至って、

「仏滅後二千二百三十余年之間 一閻浮提之内未有大曼陀羅也」

と後の定形化といえる讃文が認められており、同月の曼荼羅No2024も同様に表示されています。

 

このように見てくると「文永1078日に、かような長文の讃文を日蓮が書くであろうか」との指摘が出るのも、素朴な疑問とはいえるでしょう。

 

 

(3) 「未有」と「未曽有」

佐渡始顕本尊の「未曽有」についても指摘があります。

 

文永期の他の曼荼羅においては「未有」だけであり、建治24月のNo34曼荼羅以降から「未曽有」と変更されています。佐渡始顕本尊のみが文永期中ただ一つ、「未曽有」であり、これを以て「佐渡期の本尊には非ず」との指摘があります。

 

 

(4) 「大曼陀羅」と「大漫荼羅」

佐渡始顕本尊の「大曼陀羅」表記についての指摘があります。

 

「大曼陀羅」については、文永11725日のNo13曼荼羅より「大曼陀羅」が始まり、それは建治元年10月のNo26「平時光授与之」曼荼羅を最後としています。建治元年11月のNo27曼荼羅からは「大漫荼羅」となり、「仏滅後二千二百二十余年間 一閻浮提之内 未有大漫荼羅也」と認められています。

 

ここで注目なのは、建治24No34曼荼羅から「未曽有」が始まって以降は、共にあるのは「大漫荼羅」なのであり、佐渡始顕本尊の讃文の如き「未曽有」と「大曼陀羅」が共にある讃文は、他に例を見ないということです。

 

 

(5) 「此法花経大曼陀羅」

 

佐渡始顕本尊の讃文の書き出し「此法花経大曼陀羅」についても、指摘されています。

 

日蓮が図顕した文永期の曼荼羅28幅中、讃文のあるものが10幅。2幅は「大覚世尊入滅後」で始まり、5幅は「仏滅後二千二百」で始まる。佐渡始顕本尊の如く「此法花経大曼陀羅」で始まるものは他にはありません。

 

 

(6)「図之」

 

佐渡始顕本尊の讃文・脇書

 

文永八年太才辛未九月十二日蒙御勘 遠流佐渡国同十年太才癸酉 七月八日図之 

此法華経大曼陀羅 仏滅後二千二百二十余年 一閻浮提之内未曾有之 日蓮始図之

 

「図之」が二つも書かれている曼荼羅は他にはないことも、不審として指摘されています。

 

以上、(1)(6)の観点が、佐渡始顕本尊に対する不審点として列挙されています。次はそれらについて考えていきましょう。

 

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