8 日蓮の書簡からわかること
【 清澄寺大衆中 】
ここまで見てきた日蓮の法脈と窪田氏の指摘=寂澄・法鑁の事跡を踏まえれば、日蓮が生きた時代の清澄寺は「台東両系の修学者達も混住していた」(窪田P329)、東密・台密の修学がなされた寺院・山林修行の霊場であったということになるでしょう。ただし、「混住」の意味するもの、実態としては、それぞれの房舎に居住していたというものではないでしょうか。
そこで想起されるのが書簡にある「このふみは、さど(佐渡)殿とすけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかせ給へ」(建治2年または文永12年、1月11日・清澄寺大衆中)との記述で、これは「この手紙は、佐渡殿(日向)と助阿闍梨御房とが、虚空蔵菩薩の御前で大衆ごとに読み聞かせなさい」というものですが、「虚空蔵の御前」に集まる清澄寺の「大衆ごと」の意味としては、「房舎ごと」というもの、またそこには「台密、東密などの大衆ごとに」との意が含まれていると読み解くことができると考えるのです。
「清澄寺大衆中」の東密・台密批判は、清澄寺大衆の信仰の内実、人物の構成がどのようなものであったかを知る手がかりになると考えます。
以下、本文について順を追って確認していきましょう。
清澄寺大衆中
◇本文
新年の慶賀自他幸甚幸甚。
去年来らず、如何。定めて子細有らん歟。抑そも参詣を企て候ば伊勢公の御房に十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等の真言の疏を借用候へ。是の如きは真言師蜂起之故に之を申す。又止観の第一第二御随身候へ。東春・輔正記なんどや候らん。円智房の御弟子に観智房の持ちて候なる宗要集かし(貸)たび候へ。それのみならず、ふみ(文)の候由も人々申し候し也。早々に返すべきのよし申させ給へ。今年は殊に仏法の邪正たださるべき年歟。浄顕の御房・義城房等には申し給ふべし。
意訳
新春を祝えること、自他ともの喜びであり幸せなことである。
去年、来られなかったのはどうしたことだろうか。様々な事情があったのだろう。身延山へ参詣されるならば、伊勢公の御房から「秘密曼陀羅十住心論」(真言密教の体系書)、「秘蔵宝鑰」(ひぞうほうやく・十住心論の要綱をまとめ示した書)、「弁顕密二教論」(顕教と密教を対比、密教の勝れる所以を示した書)等、真言の注釈書を借用し持参して頂きたい。これらは真言師が騒がしくなってきた故に依頼するものである。
また、「摩訶止観」の第一、第二の巻を携えてきてほしい。「天台法華疏義纉」(唐代の天台僧・智度の著)、「法華天台文句輔正記」(唐代の天台僧・道暹[どうせん]の著)等もあるだろうか。円智房の弟子である観智房が持っている「宗要集」(天台のものか?)も、お借りしたい。
それだけではなく、観智房は文書(文書が何であるかは不明)を持っていると、人々は言っていた。早々にお返しするので借りてきて頂きたい。(真言師が騒がしくなってきたこともあり)今年はことに、仏法の邪正が正されるべき年になることだろう。浄顕の御房、義城房等にはそのように伝えてほしい。
◇本文
日蓮が度々殺害せられんとし、並びに二度まで流罪せられ、頚を刎られんとせし事は別に世間の失に候はず。生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん。明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並びに一切経の勝劣粗(ほぼ)是を知りぬ。
其上、真言宗は法華経を失ふ宗也。是は大事なり。先づ序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ。其故は月氏・漢土の仏法の邪正は且らく之を置く。
日本国の法華経の正義を失ふて、一人もなく人の悪道に堕つる事は、真言宗が影の身に随ふがごとく、山々ごとに法華宗に真言宗をあひそひ(副)て、如法の法華経に十八道をそへ、懺法に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の潅頂をして真言宗を正とし法華経を傍とせし程に、真言経と申すは爾前権経の内の華厳・般若にも劣れるを、慈覚・弘法これに迷惑して、或は法華経に同じ或は勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印・真言をもって開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ。
結句は天魔入り替って檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。此の悪真言かまくら(鎌倉)に来りて、又日本国をほろぼさんとす。
意訳
日蓮が何度も殺されかかり、二度までも流罪となり首を刎ねられようとしたことは、別に世間の罪によるものではなかった。日蓮は、生身の虚空蔵菩薩より大智慧を賜わったことがあった。「日本第一の智者にしてください」と祈ったことを不憫に思われたのだろう。明星のような大宝珠を賜わり、右の袖で受け取ったために一切経を学んだところ、八宗並びに一切経の勝劣をほぼ知ることができたのである。
その上、真言宗は法華経を失わせる宗である。これは大事なことで、まず序分に禅宗と念仏宗の誤りを責めてみようと考えたのである。その理由は、インド・中国の仏法の邪正はしばらく置くとしよう。
日本国が法華経の正義を失ってすべての人が悪道に堕ちてしまうことは、真言宗が、人の動きに影が随うように、寺院ごとに法華宗に真言宗を合わせ添えて、法華経の経文に18種類の印契を使い行う密教の修法・十八道を添え、法華経を読み罪を懺悔して滅する・法華懺法に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者らは自宗の灌頂に際して真言宗を正とし法華経を傍としこのようなことを続ける程に、真言の経典というのは爾前権経の中の華厳経や般若経にも劣っているものを、慈覚や弘法がこれに迷惑して、あるいは真言は法華経に同じ、あるい真言は法華経よりも勝れているなどといって、仏像を開眼するのにも大日経で説かれる仏眼尊と大日如来の印・真言をもって開眼供養する故に、日本国の木画の諸像は全て無魂無眼のものとなってしまったのである。
結局は天魔が入り替わってしまい、檀那を滅ぼす仏像に成り果てたのである。日本の王法が尽きようとしているのは、真言の悪法のためなのだ。このような悪法たる真言が鎌倉に来たりて、またも日本国を滅ぼそうとしている。
◇本文
其上、禅宗・浄土宗なんどと申すは又いうばかりなき僻見の者なり。此を申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほう(報)ぜんがために、建長五年三月二十八日、安房の国東条の郷清澄寺道善之房持仏堂の南面にして、浄円房と申すもの並びに少々の大衆にこれを申しはじめて、其後二十余年が間退転なく申す。
或は所を追ひ出され、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を。今は見る日蓮が刀剣に当る事を。日本国の有智無智上下万人の云く 日蓮法師は古の論師・人師・大師・先徳にすぐるべからずと。日蓮この不審をはらさんがために、正嘉・文永の大地震大長星を見て勘へて云く、我朝に二つの大難あるべし。所謂自界叛逆難・他国侵逼難也。自界は鎌倉に権の大夫殿御子孫どしうち(同士打)出来すべし。他国侵逼難は四方よりあるべし。其中に西よりつよくせむべし。是偏に仏法が一国挙(こぞり)て邪まなるゆへに、梵天・帝釈の他国に仰せつけてせめらるるなるべし。日蓮をだに用ひぬ程ならば、将門・純友・貞任・利仁・田村のやうなる将軍百千万人ありとも叶ふべからず。これまことならずば真言と念仏等の僻見をば信ずべしと申しひろめ候き。
就中、清澄山の大衆は日蓮を父母にも三宝にもをもひをとさせ給はば、今生には貧窮の乞者とならせ給ひ、後生には無間地獄に堕ちさせ給ふべし。故いかんとなれば、東條左衛門景信が悪人として清澄のかいしゝ(飼鹿)等をかり(狩)とり、房々の法師等を念仏者の所従にしなんとせしに、日蓮敵をなして領家のかたうどとなり、清澄・二間の二箇の寺、東條が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじやう(精誠)の起請(きしょう)をかいて、日蓮が御本尊の手にゆい(結)つけていのりて、一年が内に両寺は東條が手をはなれ候しなり。此事は虚空蔵菩薩もいかでかすてさせ給ふべき。大衆も日蓮を心へずにをもはれん人々は、天にすてられたてまつらざるべしや。かう申せば愚痴の者は我をのろう(呪咀)と申すべし。後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申すなり。
領家の尼ごぜんは女人なり、愚痴なれば人々のいひをど(嚇)せばさこそとましまし候らめ。されども恩をしらぬ人となりて、後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ、不便に候へども、又一つには日蓮が父母等に恩をかほらせたる人なれば、いかにしても後生をたすけたてまつらんとこそいのり候へ。
意訳
その上、禅宗や浄土宗などはまた、いうほどにもない誤った教えによる者である。このようなことを言えば、必ず日蓮の身命に及ぶような事態となることは分かってはいたが、幼少の時に大宝珠を授けてくださった虚空蔵菩薩の御恩を報ずるため、建長5年3月28日、安房の国東条の郷・清澄寺の道善之房・持仏堂の南面において、浄円房という者をはじめ少しばかりの大衆に日蓮の法門を言いはじめ、その後20年余も退転せずに言い続けてきたのである。
この間、あるいは所を追い出され、あるいは流罪されてきた。昔は不軽菩薩が杖木瓦石の難にあったと聞くが、今は日蓮が刀剣の難に当たることを見るのである。日本国の有智・無智・上下万民はいう、日蓮法師は往古の論師・人師・・大師・先徳に勝れることはないと。日蓮はこのような不審を晴らすために、正嘉元年の大地震、文永元年の大彗星を見て考え言ったのである。
「我が国に二つの大難があるであろう。それは自界叛逆難と他国侵逼難である。自界叛逆難は鎌倉に北条義時(権の大夫殿)の子孫の同士打ちが起こるであろう。他国侵逼難は四方から起こるであろう。その中でも西より強く攻めてくるであろう。これ偏に、仏法が一国を挙げて邪であるために、大梵天王・帝釈天王が他国に言いつけて攻められるのである。日蓮を用いないならば、平将門、藤原純友、安倍貞任、藤原利仁、坂上田村麻呂のような名将が百千万人いたところで叶わないのである。これらが真でないならば、真言と念仏等の誤った考えを信じることにしよう」といい、広めてきたのだ。
中でも清澄山の大衆は、日蓮のことを父母にも三宝にも劣ると思われるなら、今生には貧しく生活に窮する乞食となり、後生には無間地獄へと堕ちることであろう。なぜかならば、東條左衛門景信が悪人の本性を出し、清澄で飼っている鹿等を狩り取ってしまい、山内各坊の法師等を念仏者の家来とし、念仏を唱えさせようと謀った時に、日蓮は東條景信のやり方に反対して領家の味方になって、「清澄・二間の二箇寺が東条方についてしまうならば日蓮は法華経を捨てよう」と心より誓って起請文を書き、日蓮が御本尊の手に結び付けて祈り続け、一年の内に両寺は東條の手を離れることができたのである。清澄・二間の寺が東条方についてしまうような事態を、虚空蔵菩薩がどうして見放されることがあろうか。清澄寺の大衆も日蓮のいうことを信じない人々は、諸天に捨てられるであろうか。こう言えば愚かで無知なる者は、「日蓮は私のことを呪詛(じゅそ)している」と言うだろうが、後生に無間地獄に堕ちるのは憐れむべきことなので申しているのである。
領家の尼御前は女性であり愚痴の人なので、人々が言い脅かすと「そうか」と頷いてしまうのであろう。しかしながら、恩を知らない人となり、後生に悪道に堕ちてしまうのは憐れむべきことであるし、また一つには日蓮の父母等がお世話になった人なので、なんとしても後生を助け奉りたいと祈っている。
◇本文
法華経と申す御経は別の事も候はず。我は過去五百塵点劫より先の仏なり。又舎利弗等は未来に仏になるべしと。これを信ぜざらん者は無間地獄に堕つべし。我のみかう申すにはあらず。多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌をいだしてかう候。地涌千界・文殊・観音・梵天・帝釈・日・月・四天・十羅刹、法華経の行者を守護し給はんと説かれたり。されば仏になる道は別のやうなし。過去の事、未来の事を申しあてて候がまことの法華経にては候なり。
日蓮はいまだつくし(筑紫)を見ず、えぞ(西戎)しらず。一切経をもて勘へて候へばすでに値ひぬ。もししからば、各々不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給ふべしと申し候はたがひ候べき歟。今はよし、後をごらんぜよ。日本国は当時のゆき(壹岐)対馬のやうになり候はんずるなり。其後、安房の国にむこ(蒙古)が寄せて責め候はん時、日蓮房の申せし事の合たりと申すは、偏執の法師等が口すくめて無間地獄に堕ちん事、不便なり不便なり。
正月十一日 日 蓮 花押
安房の国清澄寺大衆中
このふみは、さど(佐渡)殿とすけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかせ給へ。
意訳
法華経という御経は何か別の事を説いているのではない。
「我は過去五百塵点劫より先の仏である。また舎利弗等は未来に仏になるであろう」と。「これを信じない者は無間地獄に堕ちるのである。私一人だけがこのように言うのではない。このことは多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌を出してこのように言っている。地涌千界の菩薩、文殊菩薩、観音菩薩、大梵天王、帝釈天、日天、月天、四天王、十羅刹女らは法華経の行者を守護することであろう」と説かれている。故に仏になる道は別のものではない。過去の事、未来の事をいい当てているのがまことの法華経なのである。
日蓮はいまだ筑紫を見たことはない、蒙古のことも知らない。一切経により考え言い続けてきた、自界叛逆難と他国侵逼難が既に起きているのだ。もしそうであれば、清澄寺の大衆が皆不知恩の人となるならば無間地獄に堕ちることであろう、と申したことがはずれることがあるだろうか。今はよいとしても、後のことを御覧なさい。日本国は今の壱岐・対馬のようになることだろう。その後、安房国に蒙古が攻め寄せてきた時、日蓮房のいっていたことは的中したと言いながら、誤った教えに執着した法師等が口をすくめて無間地獄に堕ちゆくことは不憫でならない。
正月十一日 日 蓮 花押
安房の国清澄寺大衆中
この手紙は、佐渡殿・日向と助阿闍梨御房とが、虚空蔵菩薩の御前で大衆ごとに読み聞かせなさい。
【 清澄寺大衆の信仰の内実・人物の構成 】
「清澄寺大衆中」では日本亡国の因である真言を弘めた者として、台密の円仁、東密の空海を名指しで批判しています。再掲となりますが要点をまとめます。
・真言宗こそが法華経を破失する教えであり、それは大事なことであるとする。
・日本国が法華経の正義を失って、大衆が悪道に堕ちてしまうのは真言宗の誤りによるとして、当時の台密寺院の潅頂などを描きながら真言批判を展開。
・真言の経典は爾前権経の内の華厳経や般若経にも劣っているのに、天台の円仁、東密の空海が経典の高低浅深に迷惑して、「法華経に同じである」または「法華経に勝れる」などと唱え邪義を流布させた。仏像を開眼するのにも仏眼尊と大日如来の印・真言により開眼供養した故に、日本国の木画の諸像は皆、無魂・無眼の像となってしまった。結局は、仏ではなく、天魔が入るところとなり、祈願する檀那を滅ぼしてしまう仏像となってしまった。王法が尽きようするのは、真言の亡国の悪法によるものなのである。この悪法・真言が鎌倉に来たり流布して、今又、日本国を滅ぼそうとしているのであるとする。
・故郷の清澄寺大衆が抱いたであろう、日蓮に対する疑念を、日本国の有智、無智、上下万民は言う。「日蓮法師は昔の論師、人師、大師、先徳よりも優れるということはない」と表現。
・日蓮はこのような不審を晴らすために、正嘉元年の大地震、文永元年の大彗星を見て考え言ったのである。「我が国に二つの大難があるであろう。それは自界叛逆難と他国侵逼難である。自界叛逆難は鎌倉に北条義時(権の大夫殿)の子孫の同士打ちが起こるであろう。他国侵逼難は四方から起こるであろう。その中でも西より強く攻めてくるであろう。これ偏に、仏法が一国挙げて邪であるために、大梵天王・帝釈天王が他国に言いつけて攻められるのである。日蓮を用いないならば、平将門、藤原純友、安倍貞任、藤原利仁、坂上田村麻呂のような名将が百千万人いたところで叶わないのである。これらが真でないならば、真言と念仏等の誤った考えを信じることにしよう」と言い広めてきたのである、として蒙古襲来による亡国以前に日蓮が説示する法華経を信仰するよう強く促している。
このような文中の真言批判と、悪法が弘まった元凶とする台密・円仁と東密・空海への批判により、清澄寺大衆の信仰の内実・人物の構成というものは、真言・東密と天台・台密であったと理解できるのではないでしょうか。例えば禅の信奉者に日蓮法華を信仰すべきことを説くのに、東密批判をしても的外れで意味はなく、禅に対する批判をした後、説教者の信仰を受持すべきことを説くのが布教をなす時の道理というものでしょう。
清澄寺大衆に宛てた書で東密・台密を批判し、日蓮説示の法華経信仰を勧奨するのに、「虚空蔵菩薩の前で大衆ごとに読み聞かせなさい」としたこと、即ち亡国という事態、安房に蒙古が攻め寄せる最悪の展開となる前に在山者全てが東密・台密の誤りを知るべきであるとしたところに、清澄寺大衆の信仰がどのようなものであったかを知ることができると考えるのです。
もちろん「富木殿御書」(建治3年8月23日)や「大田殿許御書」(文永12年[または建治2年か3年]1月24日)のように、一人の檀越に宛てた一書に東密・台密を批判した書もありますが、日蓮が清澄寺関係者に宛てた書については、単に「この時期は真言批判が始まった頃だから」「台密批判を盛んに行っていた時期だから」台東批判を書き込んだ、というものではないと思われます。
「清澄寺大衆中」
虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかせ給へ。
「聖密房御書」
これは大事の法門なり。こくうざう(虚空蔵)菩薩にまいりて、つねによみ奉らせ給ふべし。
(虚空蔵菩薩の前で読めば、周囲の者も耳を傾けたことと思う)
「別当御房御返事」
聖密房のふみにくはしくかきて候。よりあいてきかせ給ひ候へ。
「種種御振舞御書」
他人はさてをきぬ。安房国の東西の人人は此の事を信ずべき事なり。
これらの記述は、当人のみならず周囲の者が読むことを多分に意識していた、また「読むべき、知るべきである」としたものといえるのではないでしょうか。
このような日蓮の書の宛先となった人物の周囲は、日蓮法華信奉者よりも他の法系に連なる者の方が多かったでしょうから、そこには法華勧奨をなすにあたって周囲の者が信奉する「誤れる教え」を批判する意が込められていると考えてよいでしょう。
「清澄寺大衆中」だけではなく、これから見るように日蓮が清澄寺と周辺に送った書には、繰り返し東密・台密の教理と諸師の批判が行われています。故に清澄寺大衆や周囲の僧は、真言・東密、天台・台密の法脈の者が多かったと考えられるのではないでしょうか。