4・注
(1)熊野那智大社文書第五 p.106
(2)熊野那智大社文書第五 p.124
(3)川崎剛志氏「室町前期における熊野三山再興と文化興隆」
『修験道の室町文化』所収 川崎剛志氏・編 2011年 岩田書院
(4)熊野那智大社文書第五 p.106
(5)佐伯有清氏「智証大師伝の研究」 p.121 1989年 吉川弘文館
(6)同上 p.146
(7)同上 p.483
(8)同上 p.484
(9)同上 p.494
(10)同上 p.494
(11)佐伯有清氏「円珍」 1990年 吉川弘文館
(12)観賢(854~925) 聖宝より伝法灌頂を受ける。東寺長者、醍醐寺座主、金剛峰寺検校をつとめる。
(13)佐伯有清氏「聖宝」 pp.48~52 1991年 吉川弘文館
(14)「醍醐根本僧正略伝」平安期・国指定重要文化財
「醍醐寺大観」第三巻(2001年 岩波書店)に収載された「醍醐根本僧正略伝」についての永村眞氏の解説(p.88)によれば、承平7年(937)、紀済人が朱雀天皇(923~952)の宣旨をうけ、聖宝の事績を記した注進状の案文が「醍醐根本僧正略伝」で、醍醐寺に「雑文」として伝来していたものを定海(1074~1149・醍醐寺座主、東大寺別当、東寺長者をつとめる)が発見し、観賢による「尊師伝」として伝えられた。ただし、観賢は案文作成前の延長3年(925)に示寂しているので、「略伝」末尾に貼り付けられた断簡にある「書主中臣真金」が書写した可能性があるという。
(15)「聖宝」 pp.52~67
(16)五来重氏「新版 山の宗教 修験道」 p.189 1999年 淡交社
(17)宮家準氏「修験道と日本宗教」 p.16