2 佐渡始顕本尊の相貌は佐渡期には非ずか

偽作説の一つに「佐渡始顕本尊は、顕示年月日が文永1078日とされている。日蓮の曼荼羅図顕は文永8109日が初見であり、未だ二年を経過せずである。この時期の他の真蹟曼荼羅を見れば相貌中の在配は少なく、十界互具として整足されるのは身延入山以降となる。しかるに文永107月の段階で、翌年の文永116月のNO11曼荼羅(立正安国会・御本尊集No)の如き相貌座配は不審である。佐渡期においては、通称『佐渡百幅の御本尊』と呼ばれる「首題・自署花押・二仏・二明王」のみで、本化の四大士が出現されるものすら少ない。始顕本尊の相貌を一見しただけでも、佐渡期には非ずなのである」というものがあります。

 

たしかに佐渡期に顕された他の曼荼羅と比較すると、佐渡始顕本尊の相貌座配は整いすぎているのか?の感もあります。「御本尊集」の第1番本尊から、曼荼羅の相貌を順に確認してみましょう。

 

 

1 文永8109日の通称「楊子御本尊」

首題 自署花押 不動明王 愛染明王

 

2 文永9616日の曼荼羅

於佐渡国 図之 文永九年太才壬申 六月十六日

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王

 

3―1 「佐渡百幅本尊」の一つとされる曼荼羅

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王

 

3―2 所蔵が佐渡妙宣寺であること、相貌座配からこの頃の図顕と考えられる曼荼羅

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王

 

3―3 相貌座配からこの頃の図顕と考えられる曼荼羅

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王

 

4 相貌座配からこの頃の図顕と考えられる曼荼羅

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王

 

5 相貌座配からこの頃の図顕と考えられる曼荼羅

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王

 

6 相貌座配からこの頃の図顕と考えられる曼荼羅

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王

 

7 相貌座配からこの頃の図顕と考えられる曼荼羅、

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王

 

8 顕示年月日不明の曼荼羅

座配が増えたものの「御本尊集」の「備考」では、「当御本尊は、一応、第八に順列したが、御図顕の年代よりすれば、更に遡るべきものと考える。」とされる通称「一念三千御本尊」

・讃文

当知身土一念三千故 成道時 称此本理一身一念遍於法界

 

・相貌

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無普賢文殊師利菩薩 南無智積菩薩

不動明王 愛染明王 南無鬼子母神 南無十羅刹女

 

9 顕示年月日不明の曼荼羅

「御本尊集」の「備考」では、「寺伝に依れば、千日尼に授与したまうところで、女人成仏御本尊の称号も之に由来する」とされる通称「女人成仏御本尊」

首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無十方分身諸仏 南無尽十方諸仏

 

南無上行無辺行菩薩 南無浄行安立行菩薩 南無文殊普賢 南無智積菩薩 薬王菩薩

 

南無舎利弗迦葉迦旃延目連須菩提 不動明王 愛染明王 南無大梵天王 南無釈提桓因

 

南無十羅刹

 

10 顕示年月日不明の曼荼羅

「御本尊集」の「備考」では、「伝承に依れば、当御本尊は、文永十一年三月十五日、佐渡真浦より越後柏崎に渡られる船中に於て、楊子を以て認めたまうところと云う」とされる通称「楊子御本尊」「船中御本尊」

首題 自署花押 四天大王 日月衆星

 

 

以上この時期の曼荼羅を列挙しましたが、顕示年月日は明らかではないものの、佐渡で顕わされたであろう「9・女人成仏御本尊」に四菩薩が配され、「観心本尊抄」の文中に示されるような虚空会の儀式の様相が相貌とされていくのは身延入山以降、文永116月「11、沙門天目 受与也」(この授与書きは他筆とされる)の曼荼羅からとなり、「観心本尊抄」より1年以上経過しています。この後、建治期より弘安期にかけては相貌座配が定形化していくこととなります。

 

しかしながら、これは「現存真蹟曼荼羅」から言えることであり、むしろ「観心本尊抄」の記述からするならば、佐渡始顕本尊の相貌座配は教示通りにして至極当然と考えられます。「佐渡始顕本尊」が文永107月の段階で存在することも、前後の諸状況からして道理であり、必然であろうと私は考えています。

次は後者(佐渡始顕本尊の存在は必然)について考えてみましょう。

 

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