13・注
(1)熊野観心十界曼荼羅
根井浄氏の教示(補陀落渡海史 p.582)によると、「那智参詣曼荼羅」が諸国を勧進行脚した山伏、熊野比丘尼により絵解きされたと伝えられるが、それを証する確実な文献資料はないようだ。対して、「熊野観心十界曼荼羅」が絵解きをされた文献、絵画史料は確認されるという。ただ、二つの曼荼羅はセットで持ち運ばれているので、熊野信仰への興味を引き勧進を募るためにも、二つの曼荼羅を使用することもあったのではないかと思う。
(2)熊野新宮本願庵主文書に「熊野本願之儀者、本宮に一ヵ寺、新宮に一ヵ寺、那智山に七寺、合九ヵ寺本願に御座候」とあり、熊野三山には九ヵ寺の本願寺院があったとしている。新宮近くの神倉社にも四つの本願寺院が存在していた。
(3)切支丹御改帳
本願寺院の宗旨を記した「切支丹御改帳」は、根井浄氏の「補陀落渡海史」(pp.638~639)に掲載されている。
(4)那智山古絵図
那智山古絵図については、山本殖生氏の論考「那智山古絵図の世界」(熊野歴史研究・第三号 1996年 熊野歴史研究会)に詳しい。山本氏の教示では、図に描かれる本願寺院の春禅坊は、「熊野年代記」万治二年(1659)条に春禅坊より大禅院と改名したことが記されているので、古絵図の制作年代は江戸初期までさかのぼると推測されている。
(5)「史料纂集 古文書編 熊野那智大社文書」第一~六 永島福太郎氏、小田基彦氏・校訂 1971年~1977年 続群書類従完成会
(6)「熊野本願所史料」 熊野本願文書研究会・編 2003年 清文堂出版
(7)米良文書255 熊野那智大社文書第一 p.179
(8)米良文書256 熊野那智大社文書第一 p.180
(9)熊野那智山本願中出入証跡記録
「本願中出入証跡之写別帳・壱」と「本願出入証跡文写別帳写・弐」の全二冊からなる。享保20年(1735)閏3月、那智山本願中の惣代・那智阿弥の良応と大禅院の良厳が幕府寺社奉行に提出した訴訟の証跡の写し。
(10)熊野那智大社文書第五 p.138
(11)本願中出入証跡之写別帳・壱 「熊野本願所史料」 pp.665~666
(12)米良文書764 熊野那智大社文書第二 p.239
(13)米良文書820 那智熊野大社文書第三 p.1
(14)本願中出入証跡之写別帳・壱 「熊野本願所史料」 p.661~663
(15)本願中出入証跡之写別帳・壱 「熊野本願所史料」 p.610
(16)本社周辺にあった社家寺院を含む「近世の那智三十六坊」の配置については、前記、山本殖生氏の論考「那智山古絵図の世界」(熊野歴史研究・第三号、p.19)に掲載されている。
(17)宮地直一氏「熊野神社と熊野山」 『民衆宗教史叢書第二十一巻 熊野信仰』所収 p.79 宮家準氏・編 1990年 雄山閣出版
(18)熊野詣 p.131
(19)吉野熊野信仰の研究 p.45
(20)熊野新宮本願庵主文書 神事祭礼・仏事法会・34 「熊野本願所史料」 p.45
(21)太田直之氏「中世の社寺と信仰 勧進と勧進聖の時代」 p.164
(22)熊野新宮本願庵主文書 補任状・免許状・請定状 252 「熊野本願所史料」 p.234
(23)熊野新宮本願庵主文書「熊野本願所史料」 pp.49~51
(24)熊野新宮本願庵主文書・熊野三山本願所九ヶ寺社役行事之覚 「熊野本願所史料」神事祭礼・仏事法会 pp.49~51
(25)熊野新宮本願庵主文書・寺社奉行本願所住職定書写 「熊野本願所史料」組織・職掌 p.82
(26)米良文書補遺11 熊野那智大社文書第五 p.28
(27)米良文書一187 熊野那智大社文書第四 p.55
(28)米良文書補遺16 熊野那智大社文書第五 p.33
(29)米良文書補遺17 熊野那智大社文書第五 p.37