1272年・文永9年 壬申(みずのえさる) 51歳
亀山天皇
北条時宗
1月16日~17日
日蓮 諸宗の徒と問答す〔塚原問答〕(種種御振舞御書・定P974)
問答後、本間重連に自界叛逆の近いことを警告する
「種種御振舞御書」真蹟曽存
日蓮は暫(しばら)くさはがせて後、各々しづまらせ給へ、法門の御為にこそ御渡りあるらめ、悪口等よしなしと申せしかば、六郎左衛門を始めて諸人然るべしとて、悪口せし念仏者をばそくび(素首)をつきいだしぬ。
さて止観・真言・念仏の法門一々にかれが申す様をで(牒)っしあ(揚)げて、承伏せさせては、ちゃうとはつ(詰)めつ(詰)め、一言二言にはすぎず。
鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりもはかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ。利剣(りけん)をもてうり(瓜)をきり、大風の草をなびかすが如し。仏法のおろかなるのみならず、或は自語相違し、或は経文をわすれて論と云ひ、釈をわすれて論と云ふ。
善導が柳より落ち、弘法大師の三鈷(こ)を投げたる、大日如来と現じたる等をば、或は妄語、或は物にくるへる処を一々にせめたるに、或は悪口し、或は口を閉ぢ、或は色を失ひ、或は念仏ひが(僻)事なりけりと云ふものもあり。或は当座に袈裟・平念珠(ひらねんじゅ)をすてゝ念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり。皆人立ち帰る程に、六郎左衛門尉も立ち帰る、一家の者も返る。
阿仏房、千日尼の外護
「千日尼御前御返事」弘安元年7月28日 真蹟
而るに日蓮佐渡国へながされたりしかば、彼の国の守護等は国主の御計ひに随って日蓮をあだむ。万民は其の命に随う。念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりもいかにもして此へわたらぬやう計れと申しつかわし、極楽寺の良観等は武蔵の前司(ぜんじ)殿の私の御教書(みぎょうしょ)を申して、弟子に持たせて日蓮をあだみなんとせしかば、いかにも命たすかるべきやうはなかりしに、天の御計らひはさておきぬ。
地頭・地頭等、念仏者・念仏者等、日蓮が庵室に昼夜に立ちそいて、かよ(通)う人をあるをまどわさんとせめしに、阿仏房にひつ(櫃)をしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわす(忘)らむ。只悲母(はは)の佐渡国に生まれかわりて有るか。
国府入道、尼の外護
「国府尼御前御書」建治元年6月16日 真蹟
しかるに尼ごぜん(御前)並びに入道殿は彼の国に有る時は人め(目)ををそれて夜中に食ををくり、或時は国のせ(責)めをもはゞ(憚)からず、身にもか(代)わらんとせし人々なり。
1月17日
書を著す
「法華浄土問答抄」
(定1、4-94・P518、P3009、P3038、創新59・P827、校1-98・P569、全P117、新P509)
佐渡塚原・問答記録
真蹟断片10紙
43字5行・奈良県桜井市大字桜井 妙要寺蔵
5字1行、60字5行、13字1行、13字1行・京都府京都市上京区新町通鞍馬口下ル下清蔵口町 妙覚寺蔵
107字9行、84字7行・京都府京都市山科区御陵大岩 本圀寺蔵
12字1行・大分県大分市大字木上 親蓮寺蔵
11字1行・石川県羽咋市竜谷町ヨ 妙成寺蔵
11字1行・三重県津市岩田 仏眼寺蔵
満下236 宝3
録外10-40 遺11-71 縮738
*文末
日蓮 花押
弁成(べんじょう) 花押
2月初旬
最蓮房 入信と伝う(最蓮房御返事・定P620)
*最蓮房について
「法華仏教研究」9号 山口晃一氏の論考「日蓮研究の方法論」
2月11日
二月騒動
幕府に謀反を企てたとされた評定衆・名越時章(尾張入道見西)、教時(遠江守)兄弟が鎌倉で誅殺される。時章については誤殺とされ、討手の五人が処刑される。(関東評定伝)
2月15日
同じ理由で北条時宗の異母兄、京都・六波羅探題南方の北条時輔が北方の赤橋義宗に誅殺される。(関東評定伝)
「保暦間記」では、時輔は生き延びて吉野山に逃亡したとの記述あり。
◇妄語
「種種御振舞御書」真蹟曽存
只今世(よ)乱れて、それともなくゆめ(夢)の如くに妄語出来して、此の御一門どしう(同士打)ちして、後には他国よりせめらるべし。
⇒日蓮は「妄語」より二月騒動が起こったとしている。実際は名越時章、教時兄弟、北条時輔には幕府転覆の力はなく、おそらくは時宗政権、幕府の強権政治に反発していた程度であり、風聞、妄語により疑心暗鬼に陥った幕府側の過剰反応であった、という事件の本質的なものを日蓮は認識していたか。
◇2月より5月までは世情穏やかならず
「日妙聖人御書」文永9年5月25日 真蹟
其の上当世の乱世、去年より謀叛(むほん)の者国に充満し、今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ、いまだ世間安穏ならず。
◇もし、鎌倉にいたならば
「四条金吾殿御返事(為法華経不可惜所領事) (不可惜所領の事)」建治2年7月 真蹟
日蓮はながされずして、かまくら(鎌倉)にだにもありしかば、有りしいくさに一定打ち殺されなん。
⇒もし佐渡へ流されていなかったならば、二月騒動に巻き込まれていたであろうとの述懐。
◇主家である江間光時の危機に四条金吾は
「頼基陳状」建治3年6月25日 日興本
頼基は去ぬる文永十一年(誤記または転写ミス、正しくは文永九年)二月十二日の鎌倉の合戦の時、折節伊豆国に候ひしかば、十日の申時に承りて、唯一人箱根山を一時に馳せ越えて、御前に自害すべき八人の内に候ひき
⇒時章の実兄である江間光時にも嫌疑が及んでいる事態に、伊豆にいた四条金吾は箱根を越えて駆けつけ、主君の御前で腹を切る覚悟を示した。
2月11日
書を最蓮房に与う
「生死一大事血脈抄(しょうじいちだいじけつみゃくしょう)」
(定1-95・P522、創新276・P1774、校1-99・P573、全P1336、新P513)
佐渡塚原・最蓮房
日朝本 満下246 宝12 真蹟なし
「其故・・・云也」265字・東京都世田谷区 某家蔵模本
録外13-22 遺12-1 縮742
*平成校定「生死一大事血脈抄(秘訣血脈抄)(与最蓮房書)」
2月18日
本間重連 入信と伝う
2月18日
書を富木常忍に報ず
「八宗違目抄」
(定1-96・P525、創新60・P831、校1-100・P576、全P154、新P515)
佐渡塚原・富木常忍
真蹟24紙完・京都府京都市上京区寺之内通新町西入ル妙顕寺前町 妙顕寺蔵
満上319 宝4
録外6-1 遺13-56 縮884
*釈迦如来を以て父と為す
法華宗より外(ほか)の真言等の七宗並びに浄土宗等は、釈迦如来を以て父と為すことを知らず。例せば三皇已前の人禽獣(きんじゅう)に同ずるが如し。鳥の中に鷦鷯鳥(しょうりょうちょう)も鳳凰鳥(ほうおうちょう)も父を知らず。獣の中には兎も師子も父を知らず。三皇已前は大王も小民も共に其の父を知らず。天台宗よりの外(ほか)真言等の諸宗の大乗宗は師子と鳳凰の如く、小乗宗は鷦鷯(しょうりょう)と兎等の如く、共に父を知らざるなり。
2月20日
書を最蓮房に報ず
「草木成仏口決」
(定1-97・P532、創新277・P1777、校1-101・P584、全P1338、新P522)
佐渡塚原・最蓮房日浄
創価学会新版・最蓮房
満下249 宝6 真蹟なし
録外13-14 遺12-4 縮745
*大曼荼羅
一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり。
天台・妙楽・伝教、内にはかが(鑑)みさせ給へどもひろめ給はず。一色一香とのゝしり惑耳驚心とさゝやき給ひて、妙法蓮華と云ふべきを円頓止観とか(変)へさせ給ひき。されば草木成仏は死人の成仏なり。此等の法門は知る人すくなきなり。所詮妙法蓮華をしらざる故に迷ふところの法門なり。敢(あ)へて忘失する事なかれ。
2月
法門書を著す
「開目抄」
(定1-98・P535、創新5・P50、校1-102・P586、全P186、新P523)
佐渡塚原・門下一同
真蹟66紙1帖完・身延山久遠寺曽存(意・乾録)
*写本所在
日興写要文・静岡県富士宮市北山 法華本門寺根源
(⇒「開目抄」文中で引用されている諸経論等の文を順に列記したもの。数箇所、日蓮の他の文が記入されている。奥書には「開目抄要文上下[正和六年(1317)二月廿六日]於御影堂」とあり、重須御影堂での著であることが知られる)
日存本・兵庫県尼崎市開明町 本興寺
日乾対照本・京都府京都市上京区寺町通今出川上ル二丁目鶴山町 本満寺
日遊本・千葉県松戸市平賀 本土寺
日奥本・岡山県岡山市御津(みつ)金川 妙覚寺
日我本・千葉県安房郡鋸南町吉浜 保田妙本寺
日朝本 平2
録内2-1 遺12-6 縮747
*摂受と折伏について
「法華仏教研究」15号 花野充道氏の論考「智顗と日蓮の摂折論の対比」
*一念三千の法門
一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。竜樹天親は知って、しかもいまだひろ(拾)いい(出)ださず、但我が天台智者のみこれをいだけり。一念三千は十界互具よりことはじまれり
*二辺の中にはいうべし
日本国に此をしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出だすならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来たるべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟(しゆい)するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合はせ見るに、いわずば今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競(きそ)ひ起こるべしとしりぬ。二辺の中にはいうべし。
*強盛の菩提心ををこして
王難等出来の時は、退転すべくば一度に思ひ止むべしと且(しばら)くやす(休)らいし程に、宝塔品の六難九易(い)これなり。我等程の小力の者、須弥山(しゅみせん)はな(投)ぐとも、我等程の無通の者、乾草(かれくさ)を負ふて劫火(ごうか)にはやけずとも、我等程の無智の者、恒沙(ごうじゃ)の経々をばよみをぼうとも、法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと、とかるゝはこれなるべし。今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ。
*大事の難四度
既に二十余年が間此の法門を申すに、日々月々年々に難かさなる。少々の難はかずしらず、大事の難四度なり。二度はしばらくをく、王難すでに二度にをよぶ。今度はすでに我が身命に及ぶ。其の上、弟子といゐ檀那といゐ、わづかの聴聞の俗人なんど来たって重科に行なはる。謀反(むほん)なんどの者のごとし。
*日蓮一人これをよめり
されば日蓮が法華経の智解は天台伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。~
而るに、法華経の第五の巻、勧持品(かんじほん)の二十行の偈は、日蓮だにも此の国に生まれずば、ほと(殆)をど世尊は大妄語の人、八十万億那由佗(なゆた)の菩薩は提婆が虚誑罪(こおうざい)にも堕ちぬべし。
経に云はく「有(う)諸無智人、悪口罵詈(あっくめり)等」「加刀杖瓦石(かとうじょうがしゃく)」等云云。
今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈(あっくめり)せられ、刀杖等を加へらるゝ者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。
「悪世中比丘(びく)邪智心諂曲(じゃちしんてんごく)」と。又云はく「与白衣説法(よびゃくえせっぽう)為世所恭敬(いせしょくぎょう)如六通羅漢(にょろくつうらかん)」と。~
又云はく「数々見擯出(さくさくけんひんずい)」等云云、日蓮法華経のゆへに度々ながされずば、数々の二字いかんがせん。此の二字は、天台・伝教もいまだよみ給はず。況んや余人をや。末法の始めのしるし、「恐怖(くふ)悪世中」の金言のあふゆへに、但日蓮一人これをよめり。
*日蓮なくば
当世、法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。
*本尊
而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。
*経を手に
但し我等が慈父、雙林(そうりん)最後の御遺言に云はく「法に依って人に依らざれ」等云云。不依人等とは、初依・二依・三依・第四依。普賢・文殊等の等覚(とうがく)の菩薩、法門を説き給ふとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず。
*道心
しかれども道心あらん人、偏党をすて自他宗をあらそ(諍)わず人をあな(蔑)づる事なかれ。
*日本国に第一に富める者
当世、日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。命は法華経にたてまつる。名をば後代に留むべし。大海の主となれば、諸の河神皆したがう。須弥山の王に諸の山神したがわざるべしや。法華経の六難九易を弁(わきま)ふれば一切経よまざるにしたがうべし。
*頸はねられぬ
日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑(ねうし)の時に頸はねられぬ。此は魂魄(こんぱく)佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそ(怖)ろしくてをそろ(恐怖)しからず。み(見)ん人、いかにを(怖)ぢぬらむ。此は釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国、当世をうつし給ふ明鏡なり。かたみ(形身)ともみるべし。
*日本の柱、眼目、大船=主師親
詮(せん)ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。
身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼(こつげん)の婆羅門(ばらもん)の責めを堪へざるゆへ。久遠大通の者の三五の塵(じん)をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。
大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてゝ観経等について後生をご(期)せよ。父母の首を刎(は)ねん、念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。
我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。
*自然に仏界
我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然(じねん)に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたな(拙)き者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし。
妻子を不便(ふびん)とをもうゆへ、現身にわかれん事をなげくらん。多生曠劫(こうごう)にしたしみし妻子には、心とはな(離)れしか。仏道のためにはなれしか、いつも同じわかれなるべし。我法華経の信心をやぶらずして、霊山(りょうぜん)にまいりて返ってみちびけかし。
*日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり⇔日蓮は日本国の諸人にしたし父母なり
「慈(じ)無くして詐(いつわ)り親しむは、即ち是(これ)彼が怨なり」等云云。日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり。一切天台宗の人は、彼等が大怨敵なり。「彼が為に悪を除くは、即ち是彼が親」等云云。無道心の者、生死をはなるゝ事はなきなり。
⇒創価学会新版は「日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり」、平成校定は「日蓮は日本国の諸人に、しう(主)・し(師)・父母なり」とする。
昭和定本では「日乾対校本」を採用して「日蓮は日本国の諸人にしたし父母なり」と読む。これは日蓮本仏ではなく、日蓮菩薩が思考の前提にある故に、日蓮が自ら主師親の三徳を宣言していると解釈できないとしてかくなる読み方にしていると考えるのだが、既に「一谷入道御書」などで「日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし」と日本国の主師親であることを宣言している。ここは普通に「日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり」と読めばいいのではないか。
◇開目抄について
「種種御振舞御書」真蹟曽存
さて皆帰りしかば、去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるゝならば日蓮が不思議とゞ(留)めんと思ひて勘へたり。
此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬(たと)へば宅(いえ)に柱なければたもたず。人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをしぬ。
只今世(よ)乱れて、それともなくゆめ(夢)の如くに妄語出来して、此の御一門どしうち(同士打)して、後には他国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委(くわ)しきが如し。かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使ひにとらせぬ。(定P975)
3月20日
書を門下一同へ報ず
「佐渡御書」
(定1-100・P610、創新122・P1284、校1-103・P661、全P956、新P578)
佐渡塚原・日蓮弟子檀那等
創価学会新版・門下一同
日朝本 平22 真蹟なし
録内17-16 遺13-2 縮827
*平成校定「佐渡御書(日蓮弟子檀那等御中)」
*説の如く受持すれば聖人の如し
日蓮は聖人にあらざれども、法華経を説の如く受持すれば聖人の如し。又世間の作法兼ねて知るによって、注し置くこと是違ふべからず。現世に云ひをく言(ことば)の違はざらんをも(以)て後生(ごしょう)の疑ひをなすべからず。
4月10日
書を富木常忍に報ず
「富木殿御返事(諸天加護なき所以[ゆえん]の事)」
(定1-101・P619、創新123・P1292、校1-104・P669、全P962、新P584)
佐渡一谷・富木常忍
真蹟2紙完・千葉県市川市中山 法華経寺蔵
続下6 遺13-11 縮835
*昭和定本「富木殿御返事」
創価学会新版「富木殿御返事(諸天加護なき所以の事)」
平成校定「富木殿御返事(御対面期霊山浄土事)」
*国立国会図書館・デジタルコレクション「日蓮聖人御真蹟」(1913~1914年 神保弁静編)
*喜悦
日蓮が臨終一分も疑ひ無し。頭を刎(は)ねらるゝの時は殊に喜悦有るべく候。大賊(だいぞく)に値(あ)ふて大毒を宝珠(ほうじゅ)に易(か)ふと思ふべきか。
*法門の事は
法門の事は先度四条三郎左衛門尉殿に書持せしむ。其の書能く能く御覧有るべし。
*法華経の行者
粗(ほぼ)経文を勘(かんが)へ見るに日蓮が法華経の行者たる事疑ひ無きか。但し今に天の加護を蒙(こうむ)らざるは、一には諸天善神此の悪国を去る故か。二には善神法味を味はゝざる故に威光勢力無きか。三には大悪鬼三類の心中に入り梵天・帝釈も力及ばざるか等、一々の証文・道理追って之を進ぜしむべし。
*万事霊山浄土を期す
但生涯本より思ひ切り了(おわ)んぬ。今に翻返(ひるがえ)ること無く其の上又違恨(いこん)無し。諸の悪人は又善知識なり。摂受・折伏の二義は仏説に任す。敢へて私曲に非ず。万事霊山浄土を期(ご)す。
4月13日
書を最蓮房に与う
「最蓮房御返事」
(定1-102・P620、創新278・P1779、校1-105・P670、全P1340、新P585)
佐渡一谷・最蓮房
日朝本 満上329 宝6 真蹟なし
録外12-35 遺13-12 縮836
*昭和定本「最蓮房御返事(供物書)」
創価学会新版「最蓮房御返事」
全集「最蓮房御返事(師弟契約御書)」
*受職潅頂
何となくとも貴辺に去ぬる二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ。結句は卯月(うづき)八日夜半寅(とら)の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂(かんじょう)せしめ奉る者なり。此の受職(じゅしょく)を得るの人争(いか)でか現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん。若し今生妙覚ならば後生豈(あに)等覚等の因分ならんや。実に無始曠劫(こうごう)の契約、常与師倶生の理ならば、日蓮今度成仏せんに貴辺豈(あに)相離れて悪趣に堕在したまふべきや。如来の記文・仏意の辺に於ては世出世に就きて更に妄語無し。
4月15日
書を最蓮房に報ずと伝う
「得受職人功徳法門抄」
(定1-103・P625、校1-106・P676、新P589)
佐渡一谷・最蓮房
日朝本 満上183 宝4 真蹟なし
録外17-8 受4-6 遺13-17 縮842
4月
書を日眼女に報ず
「同生同名御書(どうしょうどうみょうごしょ)」
(定1-104・P632、創新193・P1518、校1-107・P683、全P1114、新P595)
佐渡一谷・四条金吾女房、或は藤四郎女房
創価学会新版・日眼女(にちげんにょ)
満下130・148 宝10 真蹟なし
録外3-54 遺13-24 縮849
*平成校定「同生同名御書(闇破日抄)(与金吾女房書)」
*釈迦仏は母のごとし
大闇(おおやみ)をば日輪やぶる。女人の心は大闇のごとし、法華経は日輪のごとし。幼子(おさなご)は母をしらず、母は幼子をわすれず。釈迦仏は母のごとし、女人は幼子のごとし。二人たがひに思へばすべてはなれず。一人は思へども、一人思はざればあ(或)るとき(時)はあひ、あ(或)るとき(時)はあわず。仏はをもふものゝごとし、女人はをも(思)はざるものゝごとし。我等仏をおも(思)はゞいかでか釈迦仏見え給はざるべき。
石を珠といへども珠とならず、珠を石といへども石とならず。権経の当世の念仏等は石のごとし。念仏は法華経ぞと申すとも法華経等にあらず。又法華経をそしるとも、珠の石とならざるがごとし。
*同生同名
人の身には同生同名と申す二(ふたり)のつか(使)ひを、天生まるゝ時よりつけさせ給ひて、影の身にしたがふがごとく須臾(しゅゆ)もはなれず、大罪・小罪・大功徳・小功徳すこしもおとさず、遥々(はるばる)天にのぼ(上)て申し候と仏説き給ふ。
此の事は、はや天もしろしめしぬらん。たのもし、たのもし。
*当書には「此の御文は藤四郎殿の女房と、常によりあひて御覧あるべく候。」とあり、これは建治元年8月の「単衣抄」文末にある「此の文は藤四郎殿女房と常により合ひて御覧あるべく候」と同じ。また、文章からも、文中の「徽宗(きそう)皇帝」の使われ方からも、当書の系年は身延期、建治元年から2年の間とするべき。(山中講一郎氏「日蓮自伝考」P276)
5月2日
書を四条金吾に報ず
「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提の事)」
(定1-105・P634、創新194・P1520、校1-108・P686、全P1116、新P597)
佐渡一谷・四条金吾
日朝本 真蹟なし
録外22-29 受7-1 遺13-26 縮851
*昭和定本「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提)」
創価学会新版「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提の事)」
平成校定「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提書)」
全集「四条金吾殿御返事(煩悩即菩提御書)」
*本門寿量品の三大事
今日蓮が弘通する法門はせば(狭)きやう(樣)なれどもはなはだふか(深)し。其の故は彼の天台伝教等の所弘(しょぐ)の法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とは是なり。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩埵(さった)の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり。
*法体とは
経に云はく「諸仏智慧甚深無量(しょぶつちえじんじんむりょう)」。~
此の智慧とはなにものぞ、諸法実相十如果成の法体なり。其の法体とは又なにものぞ、南無妙法蓮華経是なり。釈に云はく「実相の深理本有(ほんぬ)の妙法蓮華経」と云へり。~
煩脳即菩提・生死即涅槃と云ふもこれなり。
まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経ととなふるところを、煩脳即菩提・生死即涅槃と云ふなり。生死の当体不生不滅とさとるより外(ほか)に生死即涅槃はなきなり。
普賢経に云はく「煩脳を断ぜず五欲を離れず、諸根を浄(きよ)むることを得て諸罪を滅除(めつじょ)す」と。
止観に云はく「無明塵労(じんろう)は即ち是菩提、生死は即ち涅槃なり」と。
寿量品に云はく「毎(つね)に自ら是の念を作(な)す、何を以てか衆生をして無上道に入り、速(すみ)やかに仏身を成就することを得せしめん」と。
方便品に云はく「世間の相常住なり」等は此の意なるべし。
此(か)くの如く法体と云ふも全く余には非ず、ただ南無妙法蓮華経の事なり。
*四条金吾=法華経の行者
然るに貴辺法華経の行者となり、結句(けっく)大難にもあひ、日蓮をもたすけ給ふ事、法師品の文に「遣化(けんげ)四衆・比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)」と説き給ふ。此の中の優婆塞とは貴辺の事にあらずんばたれ(誰)をかさ(指)ゝむ。すでに法を聞いて信受して逆らはざればなり。不思議なり、不思議なり。
*法華経の法師、上行菩薩の御使ひ
若(も)し然(しか)らば日蓮法華経の法師なる事疑ひなきか。「則如来使」にもに(似)たるらん「行如来事」をも行ずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐(びょうざ)の時、上行菩薩に譲り給ひし題目の五字を日蓮粗(ほぼ)ひろめ申すなり。此即ち上行菩薩の御使ひか。
5月5日
書を富木常忍に報ず
(定1-106・P638、創新124・P1293、校1-109・P690、全P139、新P599)
佐渡一谷・富木常忍
真蹟7紙完(但し第4~7紙は表裏記載)・千葉県市川市中山 法華経寺蔵
信伝本・静岡県富士宮市北山 法華本門寺根源蔵
日朝本 平25
録内17-11 遺13-29 縮855
*国立国会図書館・デジタルコレクション「日蓮聖人御真蹟」(1913~1914年 神保弁静編)
*賢父、聖親、導師
法然が捨閉閣抛、禅家(ぜんけ)等が教外別伝、若し仏意に叶はずんば日蓮は日本国の人の為には賢父(けんぷ)なり、聖親(せいしん)なり、導師なり。
之を言はざれば一切衆生の為に「慈無くして詐り親しむは即ち是彼が怨なり」の重禍(じゅうか)脱(のが)れ難し。日蓮既に日本国の王臣等の為には「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」に当たれり。此の国すでに三逆罪を犯す。天豈(あに)之を罰せざらんや。
*日蓮無くば
仏陀(ぶっだ)記して云はく「後五百歳に法華経の行者有って、諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦石(とうじょうがしゃく)・流罪死罪せられん」等云云。
日蓮無くば釈迦・多宝・十方諸仏の未来記は当に大妄語なるべきなり。
*虎口を脱れたる
(阿修羅が)次第に国主国中に遷り入りて賢人を失ふ。
是くの如き大悪は梵釈も猶防ぎ難きか。何に況んや日本守護の少神をや。但地涌千界の大菩薩・釈迦・多宝・諸仏の御加護に非ざれば叶ひ難きか。日月は四天の明鏡なり。諸天定めて日蓮を知りたまふか。日月は十方世界の明鏡なり。諸仏定めて日蓮を知りたまふか。一分も之を疑ふべからず。但し先業未だ尽きざるなり。
日蓮流罪に当たれば教主釈尊衣を以て之を覆ひたまはんか。去年九月十二日の夜中に虎口を脱れたるか。「必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」等とは是なり。汝等努々疑ふこと勿れ、決定して疑ひ有るべからざる者なり。
*歎くべからず
早々に御免を蒙(こうむ)らざる事は之を歎くべからず。定めて天之を抑(おさ)ふるか。藤河入道を以て之を知れ。去年流罪有らば今年横死(おうし)に値ふべからざるか。彼を以て之を惟(おも)ふに愚者は用ひざる事なり。日蓮が御免を蒙らんと欲するの事を色に出だす弟子は不孝の者なり。敢へて後生を扶(たす)くべからず。各々此の旨を知れ。
この頃
乙御前母・日妙 鎌倉より佐渡へ詣る(日妙聖人御書・定P641)
5月25日
書を日妙に報ず
「日妙聖人御書」
(定1、4-107・P641、P3038、創新240・P1678、校1-110・P694、全P1213、新P603)
佐渡一谷・乙御前母尼
創価学会新版・日妙
真蹟断片7紙
第5紙160字13行・東京都江戸川区 師子王文庫蔵
第6紙15字1行・三重県桑名市萱町 顕本寺蔵
第8紙111字10行、39字3行・大阪府 妙徳寺蔵
第13紙157字12行・京都府 某家蔵
26字2行・兵庫県伊丹市伊丹 本泉寺蔵
133字10行、123字10行・静岡県富士郡芝川町内房 本成寺蔵
日朝本、平31
録内19-53 遺13-32 縮859
*平成校定「真蹟断片6紙(但し第8紙貼合)」
*昭和定本「日妙聖人御書(楽法梵志書)」
創価学会新版「日妙聖人御書」
*教主釈尊の御子
此の妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜(だんはらみつ)と申して、身をうえたる虎にか(飼)ひし功徳、鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜(しらはらみつ)と申して須陀摩王(しゅだまおう)としてそらごと(虚言)せざりし功徳等、忍辱仙人(にんにくせんにん)として歌梨王(かりおう)に身をまかせし功徳、能施太子(のうせたいし)・尚闍梨仙人(じょうじゃりせんにん)等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給ひて、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給ふ。
「今此三界(こんしさんがい)、皆是我有(かいぜがう)、其中衆生(ごちゅうしゅじょう)、悉是吾子(しつぜごし)」これなり。
我等具縛(ぐばく)の凡夫忽(たちま)ちに教主釈尊と功徳ひとし。彼の功徳を全体うけとる故なり。経に云はく「如我等無異」等云云。法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり。
譬へば父母和合して子をうむ。子の身は全体父母の身なり。誰か是を諍(あらそ)ふべき。牛王(ごおう)の子は牛王なり。いまだ師子王とならず。師子王の子は師子王となる。いまだ人王天王等とならず。
今法華経の行者は「其中衆生、悉是吾子」と申して教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難(かた)かるべからず。但し不孝の者は父母の跡をつがず
*法華経の行者、聖人
今実語の女人にておはすか。当(まさ)に知るべし、須弥山(しゅみせん)をいたゞきて大海をわたる人をば見るとも、此の女人をば見るべからず。砂をむして飯となす人をば見るとも、此の女人をば見るべからず。当に知るべし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等、此の女人をば影の身にそうがごとくまぼり給ふらん。
日本第一の法華経の行者の女人なり。故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云云。
5月
元使・趙良弼(ちょうりょうひつ)の使者・張鐸(ちょうたく) 高麗の牒状を携えて来朝
曼荼羅(2)を図顕する
*顕示年月日
於佐渡国 図之 文永九年太才壬申 六月十六日
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王
*寸法
41.8×28.8 cm 1紙
*備考
・当曼荼羅は向かって左に不動明王、右に愛染明王を配列しており、これ以降に図顕した曼荼羅の、向かって右に不動明王、左に愛染明王という「通例」の逆になっている。弘安二年二月「釈子日目授与の曼荼羅60」も(2)と同例である。
・(2)は曼荼羅図顕始めであり、この頃はまだ定型化していなかったものか。(60)は「通例」の配列を失念してのものか。
・弘安4年4月25日「比丘尼持円授与の曼荼羅(107)」は、左右ともに愛染明王を配列している。これについては、体調不良による筆誤ではないだろうか。
*所蔵
京都府京都市上京区寺之内通大宮東入ル妙蓮寺前町 妙蓮寺
夏の頃
日蓮 塚原より一谷へ移居、一説には4月13日(録内祖書啓蒙 安国院日講撰)
「一谷入道御書」建治元年5月8日 真蹟
文永九年の夏の比(ころ)、佐渡国石田郷一谷(いちのさわ)と云ひし処に有りしに、預かりたる名主(みょうしゅ)等は、公と云ひ私と云ひ、父母の敵よりも宿世の敵よりも悪(にく)げにありしに、宿の入道といゐ、め(妻)といゐ、つかうもの(者)と云ひ、始めはお(怖)ぢをそ(恐)れしかども先世の事にやありけん、内々不便(ふびん)と思ふ心付きぬ。
預かりよりあづかる食は少なし。付ける弟子は多くありしに、僅(わず)かの飯の二口三口ありしを、或はおしき(折敷)に分け、或は手に入れて食せしに、宅主(あるじ)内々心あ(有)て、外にはをそるゝ様なれども内には不便げにありし事何(いつ)の世にかわす(忘)れん。我を生みておはせし父母よりも、当時は大事とこそ思ひしか。何(いか)なる恩をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや。
然れども入道の心は後世を深く思ひてある者なれば、久しく念仏を申しつもりぬ。其の上阿弥陀堂を造り、田畠も其の仏の物なり。地頭も又をそ(恐)ろしなんど思ひて直ちに法華経にはならず。是は彼の身には第一の道理ぞかし。然れども又無間大城は疑ひ無し。
7月26日
書を日昭、大進阿闍梨、三位房に報ず
「弁殿御消息(法門聴聞の事)」
(定1-109・P648、創新226・P1634、校1-112・P701、全P1223、新P608)
佐渡一谷・弁殿 大進阿闍梨
創価学会新版・日昭、大進阿闍梨、三位房
真蹟1紙完(折紙二段貼)・山梨県甲府市若松町 信立寺(しんりゅうじ)蔵
延山録外1 満下364 宝12
録外5-21 遺13-39 縮865
*平成校定「真蹟2紙完」
*昭和定本「弁殿御消息」
創価学会新版「弁殿御消息(法門聴聞の事)」
<系年>
・昭和定本・創価学会新版「文永9年7月26日」
・建治2年説~文中の「随分の秘書」とは「報恩抄」の別本のことか。
「報恩抄送文」(建治2年7月26日)と同日の書となる。
「法華仏教研究」13号 土屋浩三氏の論考「重要法門の添え状について」
*随分の秘書
此の書は随分の秘書なり。已前(いぜん)の学文の時も、いまだ存ぜられざる事粗(ほぼ)之を載(の)す。他人の御聴聞なからん已前に御存知有るべし。総じてはこれよりぐ(具)していたらん人にはよ(依)りて法門御聴聞有るべし。互ひに師弟と為らんか
7月
書を三位房日行に与う
「真言見聞(しんごんけんもん)」
(定1-110・P649、創新61・P840、校1-113・P702、全P142、新P608)
佐渡一谷・三位房日行
創価学会新版・対告衆なし
金綱集6(日王本)身延山久遠寺蔵
日朝本 平17 真蹟なし
録内37-1 遺13-40 縮866
*昭和定本・創価学会新版「文永9年7月」
9月
書を四条金吾に報ず
「四条金吾殿御返事(梵音声[ぼんのんじょう]の事)」
(定1-112・P660、創新195・P1523、校1-115・P713、全P1118、新P617)
佐渡一谷・四条金吾
日興本・静岡県富士宮市北山 法華本門寺根源蔵
日朝本 平15
録内19-44 遺13-50 縮877
*録内「四條金吾殿御返事=梵音声御書」
昭和定本「四条金吾殿御返事(梵音声書)」
創価学会新版「四条金吾殿御返事(梵音声の事)」
全集「四条金吾殿御返事(梵音声御書)」
*創価学会新版「文永9年9月」
定本、校定、全集「文永9年 月 日」
*(四条金吾は佐渡の日蓮のもとへ)御使ひをつかはし
前々の諸難はさておき候ひぬ。去ぬる九月十二日御勘気をかふりて、其の夜のうちに頸をは(刎)ねらるべきにて候ひしが、いかなる事にやよりけん、彼の夜は延びて此の国に来たりていままで候に、世間にもすてられ、仏法にも捨てられ、天にもとぶ(訪)らはれず、二途にかけたるすてものなり。而るを何(いか)なる御志にてこれまで御使ひをつかはし、御身には一期の大事たる悲母の御追善第三年の御供養を送りつかはされたる事、両三日はうつゝともおぼへず。
*教主釈尊の御使ひ
但し法華経に云はく「若し善男子善女人、我が滅度の後に能く竊(ひそ)かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし是の人は則ち如来の使ひ如来の所遣(しょけん)として如来の事を行ずるなり」等云云。
法華経を一字一句も唱へ、又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使ひなり。然れば日蓮賎(いや)しき身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来たれり。此を一言もそし(誹)らん人々は罪無間を開き、一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもす(過)ぎたりと見えたり。
*教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師
教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師なり。八万法蔵は皆金言、十二部経は皆真実なり。無量億劫より以来(このかた)、持ち給ひし不妄語戒の所詮は一切経是なり。いづれも疑ふべきにあらず。但し是は総相なり。別してたづぬれば、如来の金口より出来して小乗・大乗・顕・密・権経・実経是あり。今この法華経は、仏「正直捨方便等乃至世尊法久後要当説真実」と説き給ふ事なれば、誰の人か疑ふべきなれども、多宝如来証明(しょうみょう)を加へ、諸仏舌を梵天に付け給ふ。
*生身の釈迦如来にあひまいらせたり
仏の大梵天王帝釈等をしたがへ給ふ事もこの梵音声なり。此等の梵音声一切経と成りて一切衆生を利益す。其の中に法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして此の音声を文字と成し給ふ。
仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とはか(変)はれども心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあ(相)ひまい(進)らせたりとおぼしめすべし。此の志佐渡国までおくりつかはされたる事すでに釈迦仏知(し)ろし食(め)し畢(おわ)んぬ。実に孝養の詮なり。
9月
日目 走湯山円蔵坊に入る
*「三師御伝土代」(富要5―12)
日目上人御伝土代
文永九年みづのへさる十三才にて走湯山円蔵坊に御登山
10月24日
蒙古との合戦に関する夢想を記す
「夢想御書」
(定1-111・P660、校1-114・P712、新P617)
佐渡一谷
真蹟2行完・静岡県三島市玉沢 妙法華寺蔵
*日興「立正安国論写本・玉沢本」の紙背に、日蓮筆の「夢想御書」二行の記述あり。他には涅槃経・摩訶止観輔行伝弘決・法華文句記要文の書き込みあり。立正安国会刊『日蓮大聖人御真蹟対照録』では文永9年の記述と推定。
*本文
文永九年太才壬申十月廿四日 夜夢想ニ云ク、来年正月九日
蒙古 為治罰月相国大小可向等云云
*解釈
・菅原関道氏の論考「日興本『立正安国論』と紙背文書』(興風」20号P182)より
「日蓮が文永九年十月二十四日夜に見た『来年正月九日、蒙古は月相国を治罰するため大小の軍勢を向かわせるだろう』という夢想と思われる。書かれたのは二十四日からそう遠くない頃であろう。」
・「日蓮聖人遺文辞典・歴史編」P1115より
「来年正月九日、蒙古国治罰のために相模から大小の軍勢が向かうであろうとの文永九年十月二十四日の夢想を書き記したもので、『立正安国論』に警告した多国侵逼難すなわち蒙古襲来の近いことを示唆している。」
*先後関係(上記、菅原関道氏の論考による)
・日興本「安国論」が先に書かれ、後に日蓮が「夢想御書」「要文」を記した
中山日親、辻善之助氏、片岡随喜氏、菅原関道氏
・その逆の成立とする
高木豊氏
⇒日蓮はかねてから他国侵逼難が近いことを警告しており、それは日蓮が訴えるところの法華経を信受しない謗法国・日本が治罰されることを意味するものでもある。日蓮の潜在意識は「他国侵逼難」である故に、その夢想もまた「来年正月九日、蒙古は月相国=日本を治罰するため大小の軍勢を向かわせる」というものではなかったろうか。
ただし、月相国を日本国とする用例が現在のところ見当たらない。
11月
覚信尼 親鸞の遺骨を京大谷より吉水に移し廟堂を建立
(真宗高田派正統記・本願寺聖人親鸞伝)
この年
中興入道 入信と伝う
【 系年、文永9年と推定される書・曼荼羅本尊 】
書を著す
「祈禱抄(きとうしょう)」
(定1-113・P667、創新35・P582、校1-116・P720、全P1344、新P622)
昭和定本・創価学会新版・対告衆なし
真蹟30紙・身延山久遠寺曽存(乾・筵録)
金綱集6「真言祈祷事」(日王筆)身延山久遠寺蔵
日朝本 満下355 平13・28 宝3
録内16-41・19-9 録外6-26 遺14-1 縮894
*昭和定本「祈祷抄」
創価学会新版「祈禱抄」
*昭和定本・創価学会新版「文永9年」
*冒頭「本朝沙門日蓮撰す」
*釈迦仏独り主師親の三義をかね給へり
而れども仏さまざまの難をまぬ(免)かれて御年七十二歳、仏法を説き始められて四十二年と申せしに、中天竺王舎城(おうしゃじょう)の丑寅、耆闍崛山(ぎしゃくっせん)と申す山にして、法華経を説き始められて八年まで説かせ給ひて、東天竺倶尸那(くしな)城、跋提(ばっだい)河の辺(ほとり)にして御年八十と申せし、二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給ひき。
而りといへども御悟りをば法華経と説きをかせ給へば、此の経の文字は即釈迦如来の御魂(みたま)なり。一々の文字は仏の御魂なれば、此の経を行ぜん人をば釈迦如来我が御眼の如くまぼ(守)り給ふべし。人の身に影のそ(添)へるがごとくそはせ給ふらん。いかでか祈りとならせ給はざるべき。
中略
仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而も開導の師なり。
中略
釈迦仏独り主師親の三義をかね給へり。
*法華経の行者の祈り
いかに申す事はをそきやらん。大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一も来たりてまぼ(守)り給はぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなづり奉り、下は九界をたぼらかす失(とが)あり。行者は必ず不実なりとも智慧はをろかなりとも身は不浄なりとも戒徳は備へずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護し給ふべし。袋きたなしとて金(こがね)を捨つる事なかれ、伊蘭(いらん)をにくまば栴檀(せんだん)あるべからず。谷の池を不浄なりと嫌はゞ蓮を取るべからず。行者を嫌ひ給はゞ誓ひを破り給ひなん。
書を(四条金吾)に報ず
「経王御前御書」
(定1-114・P686、創新224・P1631、校1-117・P740、全P1123、新P635)
佐渡一谷 経王御前
創価学会新版・(四条金吾)
満上257 宝13 真蹟なし
録外10-28 遺14-19 縮912
*創価学会新版「経王御前御書」
平成校定「経王御前御書(与四条書)」
全集「経王御前御書(経王誕生御書)」
*昭和定本・創価学会新版「文永9年」
*法華経釈迦仏の御使ひ
今の代は濁世(じょくせ)と申して乱れて候世なり。其の上眼前に世の中乱れて見え候へば、皆人今生には弓箭(きゅうせん)の難に値って修羅道におち、後生には悪道疑ひなし。而(しか)るに法華経を信ずる人々こそ仏には成るべしと見え候へ。御覧ある様にかゝる事出来すべしと見えて候。故に昼夜に人に申し聞かせ候ひしを、用ひらるゝ事こそなくとも、科(とが)に行なはるゝ事は謂(い)はれ無き事なれども、古(いにしえ)も今も人の損ぜんとては善(よ)き言(こと)を用ひぬ習ひなれば、終(つい)には用ひられず世の中亡(ほろ)びんとするなり。
是偏(ひとえ)に法華経釈迦仏の御使ひを責むる故に、梵天・帝釈・日月・四天等の責めを蒙(こうむ)りて候なり。又世は亡び候とも、日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ。
書を著すと伝う
「真言宗私見聞」
(定3続編25・P2070、校3真偽未決書9・P2829)
金綱集6(日王本)身延山久遠寺蔵
録外20-19 縮続27
曼荼羅(3の1) を図顕する
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王
*寸法
44.8×28.8cm 1紙
*備考
曼荼羅(3)(7)(25)は「佐渡百幅の御本尊」と通称されている。
*所蔵
京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町 本能寺
⇒系年は文永9年か
曼荼羅(3の2)を図顕する
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王
*寸法
42.2×26.4cm 1紙
*「集成」5
*所蔵
新潟県佐渡市阿仏坊 妙宣寺
⇒系年は文永9年か
曼荼羅(3の3)を図顕する
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王
*寸法
45.7×28.3cm 1紙
*「集成」6
*所蔵
京都府京都市上京区寺之内通大宮東入ル妙蓮寺前町 妙蓮寺
⇒系年は文永9年か
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王
*先聖添書
甲斐国波木井法寂房 授与之(日興添書)
*寸法
52.4×33.0cm 1紙
*備考
花押の左「南無多宝如来」下の添書を削損した痕跡あり。
*所蔵
静岡県富士宮市小泉 久遠寺
⇒系年は文永9年か
曼荼羅(5)を図顕する
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王
*寸法
44.8×29.4cm 1紙
*所蔵
新潟県三条市西本成寺 本成寺
⇒系年は文永9年か
曼荼羅(7)を図顕する
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王
*寸法
86.7×30.0cm 2枚継ぎ
*所蔵
京都府京都市左京区仁王門通川端東入大菊町 頂妙寺
⇒系年は文永9年か
曼荼羅(8)を図顕する
*通称
一念三千御本尊
*讃文
当知身土一念三千故 成道時 称此本理一身一念遍於法界
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 南無普賢文殊師利菩薩 南無智積菩薩 不動明王 愛染明王 南無鬼子母神 南無十羅刹女
*寸法
39.7×30.3cm 1紙
*備考
・「御本尊集」は当曼荼羅をNO8としたものの、「御図顕の年代よりすれば、更に遡るべきものと考える」とする。
*所蔵
千葉県松戸市平賀 本土寺
⇒系年は文永9年か
本化四菩薩の勧請がない。
智積菩薩が勧請されるのは曼荼羅(8)(9)の二幅のみ
首題上部左側に「法報応」を表す種子、右側に「金剛界大日如来」を表す種子が配列されている。
妙楽大師の「摩訶止観輔行伝弘決」の文が慶讃文として引用されている。
曼荼羅(25)を図顕する
*相貌
首題 自署花押 南無釈迦牟尼仏 南無多宝如来 不動明王 愛染明王
*寸法
41.8×24.8cm 1紙
*備考
・「御本尊集」は、当曼荼羅は「御本尊集」(2)(3)の間に順列すべきであったが、「追加影印した関係上、文永年間の最後尾に奉掲するの止むなきに到ったことは、誠に恐懼に堪えない」とする。
*所蔵
山梨県南巨摩郡身延町大野 本遠寺
⇒系年は文永9年か