1267年・文永4年 丁卯(ひのとう) 46歳
亀山天皇
北条政村
4月
定済 東大寺別当に補任される(東大寺別当次第・東大寺要録)
6月
比叡山大衆 蜂起する(続史愚抄)
8月15日
日蓮母・妙蓮 寂と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・大石寺過去帳)
8月
良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう) 鎌倉極楽寺に開山として入る
(性公大徳譜)
*忍性の社会救済事業について
「法華仏教研究」29号 松尾剛次氏の論考「忍性ー仏教社会福祉事業に捧げた人生」
9月
高麗国使者・潘阜(はんぷ) 来日
12月26日
幕府 御家人が所領を質入・売買することを禁ず
この年
日蓮 安房より上総国藻原を経て下総国富木邸に越年と伝う
(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・富士年表)
日頂 改衣と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・富士年表)
隆弁 園城寺長吏に補任される(園城寺長吏次第・三井寺続灯記)
【 系年、文永4年と推定される書 】
12月5日
書を星名五郎太郎に報ず
「星名五郎太郎殿御返事(ほしなごろうたろうどのごへんじ)」
(定1-47・P414、創新402・P2076、校1-50・P410、全P1206、新P363)
満上124 宝11 真蹟なし
録外2-12 受1-36 遺10-13 縮597
*昭和定本・創価学会新版「文永4年12月5日」
*経文
又我が朝の叡山の根本大師は、南都・北京(ほっきょう)の碩学(せきがく)と論じて、仏法の邪正をたゞす事皆経文をさきとせり。今当世の道俗(どうぞく)・貴賎(きせん)、皆人をあがめて法を用ゐず、心を師として経によらず。之に依りて或は念仏権教を以て大乗妙典をなげすて、或は真言の邪義を以て一実の正法を謗ず。是等の類豈(あに)大乗誹謗のやからに非ずや。若し経文の如くならば、争(いか)でか那落(ならく)の苦しみを受けざらんや。之に依りて其の流れをくむ人もかくの如くなるべし。