1266年・文永3年 丙寅(ひのえとら) 45歳

亀山天皇

 

北条政村

 

16

書を著す

「法華経題目抄(妙の三義の事)

(14-44P391P3008、創新33P531、校1-48P394、全P940、新P353)

清澄寺

昭和定本・創価学会新版・対告衆なし

・真蹟断片20紙・茨城県常陸太田市新宿町 久昌寺(きゅうしょうじ)12箇所蔵

日朝本 平27

録内11-1 遺10-1 縮583

 

< 断片所在 >

151行・茨城県常陸太田市新宿町 久昌寺

402行・石川県金沢市東山 真成寺

71行、111行、3字、2字、1769行、71行・静岡県沼津市下河原 妙覚寺

2039行・神奈川県鎌倉市 某家

713行・静岡県田方郡韮山町 某家

673行・京都府 一道院

28013行・京都府京都市山科区御陵大岩 本圀寺

955行・東京都港区 自得庵

382行・京都府京都市左京区東大路二条下ル北門前町 妙伝寺

249115行・山梨県南巨摩郡身延町身延 身延山久遠寺曽存(遠・奠・亨録)

151行・千葉県松戸市平賀 本土寺

845行・京都府京都市上京区寺町通今出川上ル二丁目鶴山町 本満寺

252115行、372行、563行・京都府京都市上京区新町通鞍馬口下ル下清蔵口町 妙覚寺

161行・滋賀県近江八幡市宮内町 瑞龍寺

181行・静岡県富士郡芝川町大鹿窪 三沢寺曽存(対照記110)

*平成校定「日目本完・宮城県栗原市一迫柳ノ目字高畑 妙教寺蔵」

 

*昭和定本「法華題目抄」

創価学会新版「法華経題目抄(妙の三義の事)

平成校定「法華題目抄(法華経題目抄)

全集「法華経題目抄」

 

坂井法曄氏の論考「日興写本をめぐる諸問題について」(興風21P229)によれば、妙教寺蔵写本は本文筆跡の人物特定はできないが、表紙の「法花題目抄 日目」は「日目の筆」であり、同本は「日目の所持本であった」とする。

 

*本文冒頭「根本大師門人日蓮撰す」

 

 

*広略要

問うて云はく、題目計りを唱ふる証文これありや。

答へて云はく、妙法華経の第八に云はく「法華の名を受持せん者、福量(はか)るべからず」と。正法華経に云はく「若し此の経を聞きて名号を宣持せば、徳量るべからず」と。

添品(てんぽん)法華経に云はく「法華の名を受持せん者、福量るべからず」等云云。

此等の文は題目計りを唱ふる福計るべからずとみへぬ。一部八巻二十八品を受持読誦し、随喜護持等するは広なり。方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり。但(ただ)一四句偈()乃至題目計りを唱へとなうる者を護持するは要なり。広略要の中には題目は要の内なり。

 

 

2

伊東八郎左衛門尉祐光 卒と伝う(日向国・伊東系図)

 

 

36

幕府 引付衆を廃して問注所に命じ評定衆をして聴訴せしむ(関東評定伝)

 

 

5

隆澄 東寺長者に補任される(東寺長者補任・仁和寺諸院家記・続史愚抄)

 

 

6

頼円 興福寺別当に補任される(興福寺別当次第・興福寺寺務次第)

 

 

6

西国大風雨 比叡山文殊楼総持院等倒れる(一代要記・続史愚抄)

 

 

74

北条時宗 将軍宗尊親王を廃す(吾妻鏡)

 

 

720

「吾妻鏡」記述 終る

 

 

724

惟康王 征夷大将軍に任ぜられる(続史愚抄)

 

 

811

千日尼父 寂

◇「千日尼御前御返事」 弘安元年(1278)728日 真蹟

其の上御消息に云はく、尼が父の十三年は来たる八月十一日

 

 

12

道融 東寺長者に補任される(東寺長者補任・続史愚抄・仁和寺諸院家記) 

 

【 系年、文永3年と推定される書 】

 

 

書を著すと伝う

「法華大綱抄」

(3続編21P2049、校3真偽未決書7P2817)

真蹟なし

録外22-2 縮続52

 

 

書を著す

「昭和定本・断簡200=平成校定・念仏者臨終現悪相御書」

(4断簡200P29251-49P409、新P362)

真蹟第218行・東京都大田区池上 池上本門寺蔵

1紙欠

*平成校定「念仏者臨終現悪相御書」

< 系年 >

昭和定本「文永初」

平成校定「文永3年」

⇒念仏破折関連断簡

定・断簡「50515253575892120163200はこの年の記述か

 

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