1258年・正嘉2年 戊午(つちのえうま) 37歳
後深草天皇
北条長時
1月17日
鎌倉・安達泰盛邸より出火 寿福寺、若宮宝蔵、同別当坊等焼失
吾妻鏡
「丑尅、秋田城介泰盛、甘縄宅失火。南風頻扇、越藥師堂後山。到壽福寺惣門佛殿庫裏方丈已下、郭内不殘一宇、餘炎新清水寺窟堂、并其邊民屋、若宮寶藏、同別當坊等燒火。」
丑の刻秋田城の介泰盛の甘縄の宅失火。南風頻りに扇き、薬師堂の後山を越え寿福寺に到り、惣門・仏殿・庫裏・方丈已下郭内一宇も残らず。余炎新清水寺窟堂並びにその辺の民屋・若宮宝蔵・同別当坊等焼失。
2月14日
書を著す
「一代聖教大意(いちだいしょうぎょうたいい)」
(定1-10・P57、創新17・P326、校1-12・P79、全P390、新P83)
日目本25紙(1紙両面書写)完・千葉県安房郡鋸南町吉浜 保田妙本寺蔵
日朝本 平13
録内13-1 遺4-25 縮175
*昭和定本「一代聖教大意(一代大意)」
創価学会新版「一代聖教大意」
平成校定「一代聖教大意(一代大意抄)」
*此の経は相伝に有らざれば知り難し
問ふ、諸経の如きは或は菩薩の為、或は人天の為、或は声聞縁覚の為、機に随って法門もかわり益もかわる。此の経は何なる人の為ぞや。答ふ、此の経は相伝に有らざれば知り難し。悪人善人・有智無智・有戒無戒・男子女人、四趣八部、総じて十界の衆生の為なり。所謂悪人は提婆達多・妙荘厳王(みょうしょうごんのう)・阿闍世王、善人は韋提希(いだいけ)等の人天の人。有智は舎利弗、無智は須利槃特(すりはんどく)。有戒は声聞・菩薩、無戒は竜・畜なり。女人は竜女なり。総じて十界の衆生、円の一法を覚るなり。此の事を知らざる学者、法華経は我等凡夫の為には有らずと申す、仏意恐れ有り。
此の経に云はく「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此の経に属せり」文。此の文の菩薩とは、九界の衆生、善人悪人女人男子、三蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の三乗、別教の菩薩、爾前の円教の菩薩、皆此の経の力に有らざれば仏に成るまじと申す文なり。
2月14日
日蓮父 妙日 寂と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・大石寺大過去帳)
⇒御書には見当たらないか
日蓮 駿河国岩本実相寺に大蔵経を閲す、その間に日興帰依と伝う
4月17日
延暦寺衆徒 園城寺の戒壇勅許に怒り強訴
吾妻鏡・百錬抄
「4月17日 丙申
今暁卯の刻、天台衆徒日吉神輿三基(八王子・十禅師・客人)を舁き奉る。これ園城寺申す戒壇の事宣下せらるべきが故と」
5月1日
朝廷 園城寺戒壇の宣下を停止
「5月1日 庚戌
日吉神輿三基本社に御帰座。戒壇の事宣下せらるべからざるの由、再三仰せ下さるるの間これを入れ奉る」
7月1日
美作房日保 上総国興津に誕生と伝う
(上総興津妙覚寺系譜・本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・富士年表)
8月1日
大風雨 諸国田園損亡
諸国の稼穀損亡
「安国論御勘由来」文永5年4月5日 真蹟 延山録外
同二年戊午(つちのえうま)八月一日大風
吾妻鏡
「暴風烈吹、甚雨如渡。昏黒天顔快晴諸國田園、悉以損亡〈云云〉。」
暴風烈しく吹き、甚雨沃すが如し。昏黒天顔快晴 諸国の田園悉く以て損亡す。
神明鏡[神武天皇(伝説的な初代天皇)から後花園天皇(1419年・応永26年~1471年・文明3年)までの史書、作者不明]
「八月一日大風、二日大洪水。天下大飢饉、人民死亡しをはんぬ」
9月21日
幕府 諸国の守護に悪党蜂起の警固を命ず(吾妻鏡)
9月
観勇等、戒壇建立を幕府に訴える(三井寺続灯記)
10月
円実 興福寺別当に重補される(興福寺別当次第・興福寺寺務次第)
この年
和泉公日法 下野国小山に誕生と伝う
*「家中抄」(富要5―243)
日法伝
釈の日法、俗姓は下野国小山の住人佐野の嫡子なり
⇒日蓮弟子・中老僧の一人とされる。後に天台僧・空存を教化して日春とし、日春旧住の天台宗寺院を改めて岡宮・光長寺とし、日法はその開山となる。
日法は日蓮の法門聞書「連々御聞書」「御法門御聞書」(日宗全1―91)等を記す。
【 系年、正嘉2年と推定される書 】
書を著す
「一念三千理事」
(定1-11・P75、創新18・P348、校1-13・P99、全P406、新P100)
日朝本 平12 真蹟なし
録内36-1 遺4-41 縮197
書を著す
「総在一念抄」
(定1-12・P80、校1-16・P115、新P111)
満上134 宝4 真蹟なし
録外17-17 遺4-56 縮212
*出離の人
問うて云はく、一文不通(いちもんふつう)の愚人南無妙法蓮華経と唱へては何の益か有らんや。
答ふ、文盲にして一字を覚悟せざる人も信を致して唱へたてまつれば、身口意の三業の中には先ず口(く)業の功徳を成就せり。若し功徳成就すれば仏の種子むね(胸)の中に収めて必ず出離(しゅつり)の人と成るなり。此の経の諸経に超過する事は誹謗すら尚逆縁と説く不軽軽毀(きょうき)の衆是なり。何に況んや信心を致す順縁の人をや。故に伝教大師云はく「信謗彼此決定(けつじょう)成仏」等云云。
書を著すと伝う
「十如是事」
(定3続編13・P2030、創新19・P354、校1-14・P104、新P104)
鎌倉
駿河下条妙蓮寺本、日朝本 満下327 宝20 真蹟なし
録内28-1 遺4-45 縮202
*平成校定「十如是事(法華経肝心抄)」
*如説修行の人
妙法蓮華経の体(たい)のいみじくおはしますは、何様(いかよう)なる体にておはしますぞと尋ね出だしてみれば、我が心性の八葉(はちよう)の白蓮華にてありける事なり。
されば我が身の体性を妙法蓮華経とは申しける事なれば、経の名にてはあらずして、はや我が身の体にてありけると知りぬれば、我が身頓(やが)て法華経にて、法華経は我が身の体をよび顕はし給ひける仏の御言(みことば)にてこそありければ、やがて我が身三身即一の本覚の如来にてあるものなり。
かく覚りぬれば無始より已来、今まで思ひならはしゝひが思ひの妄想は、昨日の夢を思ひやるが如く、あとかたもなく成りぬる事なり。
是を信じて一遍も南無妙法蓮華経と申せば、法華経を覚りて如法(にょほう)に一部をよみ奉るにてあるなり。十遍は十部、百遍は百部、千遍は千部を如法によみ奉るにてあるべきなり。かく信ずるを如説修行の人とは申すなり。
書を著すと伝う
「一念三千法門」
(定3続編14・P2033、創新20・P357、校1-15・P107、新P106)
鎌倉
満下155 宝4 真蹟なし
録外17-25 遺4-49 縮205
*本覚の仏
我が身即報身如来~
我が身即応身如来~
我が身即法身如来~
此の三を法(ほっ)・報(ぽう)・応(おう)の三身とも、空・仮・中の三諦とも、法身・般若・解脱の三徳とも申す。
此の三身如来全く外になし。我が身即三徳究竟(くきょう)の体にて三身即一身の本覚の仏なり。是をしるを如来とも聖人とも悟りとも云ふ。知らざるを凡夫とも衆生とも迷ひとも申す。
*十界の衆生各互ひに十界を具足す、合すれば百界なり。百界に各々十如を具すれば千如なり。此の千如是に衆生世間・国土世間・五陰(おん)世間を具すれば三千なり。