1257年・康元2年(3月14日改元)・正嘉元年 丁巳(ひのとみ) 36歳
後深草天皇
北条長時
2月10日
太政官庁 焼失
2月
房円 東寺長者に補任される(東寺長者補任)
2月
円助 園城寺長吏に補任される(園城寺長吏次第・三井寺続灯記)
3月16日
図録を著す
「三八教」
(定3図録3・P2223、校3図録13・P2404、新P412)
真蹟16紙完・京都府京都市上京区寺之内通新町西入ル妙顕寺前町 妙顕寺蔵
録外12-42 遺3-47 縮137
< 系年 >
昭和定本「正嘉元年3月16日」
平成校定「文永6年3月16日」
3月27日
園城寺衆徒 戒壇建立勅許を求めて強訴(三井寺続灯記)
朝廷、六波羅に鎮圧を要請す
6月23日
加賀法印定清 祈雨法を始行
吾妻鏡
「加賀法印定清、始行祈雨法〈云云〉。」
加賀法印定清祈雨法を始行す。
6月
大橋貞経(尾州津島本蓮寺開基) 寂と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表)
8月1日
鎌倉大地震
吾妻鏡
「戌尅大地震。」
戌の刻大地震。
8月23日
鎌倉大地震 「神社仏閣一宇として全きこと無し」と伝える
正嘉の大地震
◇「安国論御勘由来」文永5年4月5日 真蹟、延山録外
正嘉(しょうか)元年太歳丁巳(ひのとみ)八月二十三日戌亥(いぬい)の時、前代に超えたる大地振(だいじしん)。
吾妻鏡
「戌尅、大地震。有音、神社佛閣一宇而無全。山岳頽崩、人屋顛倒、築地皆悉破損、所々地裂、水涌出。中下馬橋邊、地裂破、自其中、火炎燃出、色青〈云云、〉今日大慈寺供養御布布施事、可致沙汰之由、被下御教書於御家人等也。」
戌の刻大地震。音有り。神社仏閣一宇として全きこと無し。山岳頽崩し、人屋顛倒す。
築地皆悉く破損し、所々の地裂け水湧き出る。中下馬橋の辺地裂け破れ、その中より火炎燃え出る。色青し。今日大慈寺供養御布施の事沙汰を致すべきの由、御教書を御家人等に下さるる。
「九月大四日 乙夘 小雨降、申剋地震。去月廿三日、大動以後、至今小動、不休止。依之、爲親朝臣、奉仕天地災變。御使、伊賀前司朝行〈云云〉。」
小雨降る
申の刻地震。去る月二十三日の大動以後、今に至るまで小動休止せず。これに依って為親朝臣天地災変祭を奉仕す。御使は伊賀の前司朝行。
11月8日
鎌倉大地震
吾妻鏡
「十一月 八日 己未 大地震、如去八月廿三日。」
大地震、去る八月二十三日の如し。
この年
天目 誕生と伝う(品川妙国寺過去帳)
日高 下総中山に誕生と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表)
【 系年、康元2年・正嘉元年と推定される書 】
図録を著す
「三種教相」
(定3図録4・P2228、校3図録3・P2303、新P57)
日朝本 宝16 真蹟なし
続上1 遺4-1 縮144
*平成校定「三種教相事(三種教相)」
図録を著す
「衣座室御書」
(定3図録5・P2255、校3図録4・P2330、新P80)
満上351 真蹟なし
録外20-16 遺4-23 縮172
図録を著す
「六凡四聖御書」
(定3図録6・P2257、校3図録5・P2332、新P82)
日明本 宝10
録外3-25 遺4-24 縮174