1252年・建長4年 壬子(みずのえね) 31歳

後深草天皇

 

北条時頼

 

220

執権・北条時頼 将軍頼嗣を廃す(吾妻鏡)

 

 

221

九条道家 卒60(公卿補任)

 

 

319

宗尊親王 京都を立ち鎌倉に向う(吾妻鏡)

 

 

41

宗尊親王 鎌倉に到着し征夷大将軍に任ぜられる(吾妻鏡)

 

 

43

前将軍・頼嗣 鎌倉より上洛(吾妻鏡)

 

 

817

幕府 宗尊親王の病気平癒を祈念し鎌倉深沢に金銅大仏を鋳造

吾妻鏡

「將軍家御惱、猶以不快之間、御祈祷事、可致懇篤之由、被仰諸寺諸社、又被奉神馬於二所三嶋社等畢。於鶴岡、可被行仁王會事有御立願〈云云〉。今日當彼岸第七日。深澤里、奉鑄始金銅八丈釋迦如來像。」

 

将軍家の御悩猶以て不快の間、御祈祷の事懇祈を専らせらるべきの由、諸寺・諸社に仰せらる。また神馬を二所・三嶋社等に奉らるる事、鶴岡に於いて仁王会を行わるべき事、御立願有り。今日彼岸の第七日に当たり、深澤里の金銅八丈の釈迦如来像を鋳始め奉る。

 

 

8

日蓮 叡山を下り三井寺に遊学と伝う(法華霊場記)

 

 

930

幕府 鎌倉および諸国市に沽酒禁制を下す(吾妻鏡)

 

 

1115

寂日坊日華 甲斐国二十日村〔秋山氏〕に誕生と伝う(富士妙蓮寺文書)

 

 

124

忍性(良観) 常陸国の三村寺清涼院に入る

 

 

 

この年

 

日頂 駿河国重須に誕生と伝う(本化別頭仏祖統記・日蓮宗年表・富士年表) 

 

前のページ                               次のページ