1231年・寛喜3年 辛卯(かのとう) 10歳
後堀河天皇
北条泰時
春
大飢饉(吾妻鏡)
3月19日
北条泰時 伊豆・駿河両国の出挙米を出して飢民を救済
吾妻鏡
「3月19日 乙巳
今年世上飢饉。百姓多く以て餓死せんと欲す。仍って武州伊豆・駿河両国の間、出挙米を施しその飢えを救うべきの由、倉庫を有する輩に仰せ聞かさる。豊前中務の丞これを奉行す。件の奉書御判を載せらるると。
今年世間飢饉の間、人民餓死の由風聞す。尤も以て不便なり。爰に伊豆・駿河の両国出挙せしむの輩、始め施さざるに依って、いよいよ計略を失うと。早く出挙を施行せしむべきの由仰せ下さるる所なり。兼ねてまた後日もし対捍有らば、注し申すに随い御沙汰有るべきの由候なり。仍って執達件の如し。
寛喜三年三月十九日 中務の丞實景(奉る)
矢田六郎兵衛の尉殿」
4月19日
国分寺に最勝王経を転じて天変即滅を祈願。
吾妻鏡
「十九日 爲祈風雨水旱災難、於諸國々分寺、可轉讀最勝王經。」
5月13日
幕府 諸国守護・地頭・検非違所の所務、守護・地頭と領家・預所との訴訟法を制定
6月9日
朝廷 山僧・神人らの狼藉を禁ず
8月
道元 「正法眼蔵・弁道話」を著す(正法眼蔵撰述開始)
9月19日
幕府 窮民による家屋破壊、その薪で商売することを禁ず
10月11日
土御門上皇 阿波で崩ず 37歳(一代要記)
10月
尊円 寂(諸門跡譜)
11月3日
朝廷 新制42条を宣下す(近衛家文書)
11月
天王寺別当 悪徒を討つ(百錬抄)
12月
園城寺衆徒 天王寺別当を討つ(百錬抄)