1230年・寛喜2年 庚寅(かのえとら) 9歳
後堀河天皇
北条泰時
3月
実信 興福寺別当に補任される(興福寺別当次第・興福寺寺務次第)
6月9日
武蔵国金子郷および美濃国蒔田荘に降雪
吾妻鏡
「武藏國在廰等、注申云、去九日辰尅、當國金子郷、雪交雨降。又同時降雹〈云云〉」
武蔵の国の在廰等注し申して云く、去る九日辰の刻、当国金子郷雪交りの雨降る。また同時に雷、雹降ると。
6月18日
北条時氏 卒28歳(吾妻鏡)
6月24日
朝廷 宣旨を下して米価を1石あたり銭1貫文と定む(百錬抄)
7月16日
諸国に霜降る
吾妻鏡「霜降、殆如冬天」
霜降る 殆ど冬天の如し
7月
園城寺・南院衆徒 中・北両院の住僧と争う(百錬抄)
8月
諸国大風雨
吾妻鏡
「八月六日 午尅甚雨、及晩洪水、河邊民居流失、人多溺死。古老未見此例〈云云〉」
午の刻甚雨、晩に及び洪水。河辺の民居流失し、人多く溺死す。古老未だこの例を見ずと。
「八日 申尅甚雨大風、及夜半、休止。草木葉枯、偏如冬氣、稼穀損亡。」
申の刻甚雨大風、夜半に及び休止す。草木の葉枯れ、偏に冬気の如し。稼穀損亡す。
*下野国渥籠郷住人・動垂(としたり)弥太郎国光
「寛喜年中之比、国光は下総国を罷り出で候て已後、いよゝ世の中に餓死極りなき間、他国ニらう籠仕り、親類の行方も知らず」中山法華経寺史料
冬
天候不順