1224年・貞応3年(11月20日改元)・元仁元年 甲申(きのえさる) 3歳
後堀河天皇
北条義時
北条泰時(鎌倉幕府第3代執権) 在職1224年[貞応3年]~1242年[仁治3年]6月15日
1月
親鸞 「顕浄土真実教行証文類(教行信証)」を著す(真宗高田派正統記)
5月
京都大地震(百錬抄)
6月6日
幕府 祈雨法を修せしむ
吾妻鏡
「炎旱渉旬、仍今日爲祈雨、被行靈所七瀬御祓。由比濱、國道朝臣。金洗澤池、知輔朝臣。固瀬河、親職。六連、忠業。柚河、泰貞。杜戸、有道。江嶋龍穴、信賢。此御祓、關東今度始也。此外、地震祭、〈國道。〉日曜祭、〈親職。〉七座泰山府君、知輔、忠業、晴賢、晴幸、泰貞、信賢、重宗等〈云云〉。又十壇水天供、辨僧正〈定豪、〉令門弟等修之。」
炎旱旬を渉る。仍って今日祈雨せんが為、御祈り霊所七瀬御祓いを行わる。由比浜は国道朝臣、金洗沢池は知輔朝臣、固瀬河は親職、六連は忠業、柚河は泰貞、杜戸は有道、江島龍穴は信賢。この御祓いは関東今度始めなり。この外地震祭(国道)・日曜祭(親職)、七座の泰山府君は知輔・忠業・晴賢・晴幸・泰貞・信賢・重宗等と。また十壇の水天供は弁僧正(定豪)門弟等をしてこれを修せしむ。
6月10日
雨が降る
吾妻鏡
「十日入夜、甘雨下。」
夜に入り甘雨下る
6月13日
北条義時 卒62歳(吾妻鏡)
「十三日前奥州病痾、已及獲□之間、以駿河守、爲使、被申此由於若君御方。就恩許、今日寅尅、令落餝給。巳尅、遂以御卒去。〈年六十二、〉」
6月28日
北条政子 北条泰時・時房を三寅(藤原頼経)の後見とする(吾妻鏡)
8月5日
朝廷 専修念仏禁止を宣下
幕府 専修念仏を禁ず(皇代略記)
8月29日
幕府 伊賀氏・光宗らを配流(吾妻鏡)
12月26日
幕府 疫病流行により鬼気祭を修せしむ
吾妻鏡
「此間、疫癘流布。武州、殊令驚給處、被行四角四境鬼氣祭。可對治之由、陰陽權助國道申云、謂四境者、東六浦。南小壺。西稲村、北山内〈云云〉。」
この間疫癘流布す。武州殊に驚かしめ給うの処、四角四境の鬼気祭を行わる。対治すべきの由、陰陽権の助国道これを申し行う。所謂四境は、東六浦・南小壺・西稲村・北山内と。