1223年・貞応2年 癸未(みずのとひつじ) 2歳

後堀河天皇

 

北条義時

 道元 Wikipediaより引用
 道元 Wikipediaより引用

 

 

2

道元入宋(道元録・碧山日録・元亨釈書)

 

 

5

幕府 土御門上皇を阿波国に遠流

吾妻鏡

「土御門院、自土佐國、可有遷御于阿波國之間、祗候人數事。尋承之、可注進之旨、被仰遣阿波守護小笠原弥太郎長經之許。四月廿二日、爲御迎已進人於土州訖之由、長經、所言上也」

 

土御門院土佐の国より阿波の国に遷御有るべきの間、祇侯人数の事これを尋ね承り、注進すべきの旨、阿波守護小笠原の弥太郎長経の許に仰せ遣わさる。四月二十二日御迎えの為すでに人を土州に進せをはんぬるの由、長経言上する所なり。

 

 

615

幕府 宣旨を下し新補地頭の得分を制定(吾妻鏡)

 

 

 

 

 

 

 

6

北条義時 駿河国富士に浅間神社を造営

(吾妻鏡)

「今日、駿河國冨士淺間宮、造替遷宮之儀也。奥州爲御經營」

 

 

 

926

鎌倉大地震

吾妻鏡「晴 戌の刻大地震」

 

 

 

 この年

 

高野山金剛三昧院建立(高野春秋・高野山文書) 

 

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