1223年・貞応2年 癸未(みずのとひつじ) 2歳
後堀河天皇
北条義時
2月
道元入宋(道元録・碧山日録・元亨釈書)
5月
幕府 土御門上皇を阿波国に遠流
吾妻鏡
「土御門院、自土佐國、可有遷御于阿波國之間、祗候人數事。尋承之、可注進之旨、被仰遣阿波守護小笠原弥太郎長經之許。四月廿二日、爲御迎已進人於土州訖之由、長經、所言上也」
土御門院土佐の国より阿波の国に遷御有るべきの間、祇侯人数の事これを尋ね承り、注進すべきの旨、阿波守護小笠原の弥太郎長経の許に仰せ遣わさる。四月二十二日御迎えの為すでに人を土州に進せをはんぬるの由、長経言上する所なり。
6月15日
幕府 宣旨を下し新補地頭の得分を制定(吾妻鏡)
6月
北条義時 駿河国富士に浅間神社を造営
(吾妻鏡)
「今日、駿河國冨士淺間宮、造替遷宮之儀也。奥州爲御經營」
9月26日
鎌倉大地震
吾妻鏡「晴 戌の刻大地震」
この年
高野山金剛三昧院建立(高野春秋・高野山文書)