研鑽ノート
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少年時代の誓願から法華経の行者・一閻浮提第一の聖人へ
日蓮年表
1221年・承久3年 辛巳(かのとみ)
1222年・承久4年(4月13日改元)・貞応元年 壬午 (みずのえうま) 1歳
1223年・貞応2年 癸未(みずのとひつじ) 2歳
1224年・貞応3年(11月20日改元)・元仁元年 甲申(きのえさる) 3歳
1225年・元仁2年(4月20日改元)・嘉禄元年 乙酉(きのととり) 4歳
1226年・嘉禄2年 丙戌(ひのえいぬ) 5歳
1227年・嘉禄3年(12月10日改元) ・安貞元年 丁亥(ひのとい) 6歳
1228年・安貞2年 戊子(つちのえね) 7歳
1229年・安貞3年(3月5日改元)・寛喜元年 己丑(つちのとうし) 8歳
1230年・寛喜2年 庚寅(かのえとら) 9歳
1231年・寛喜3年 辛卯(かのとう) 10歳
1232年・寛喜4年(4月2日改元)・貞永元年 壬辰(みずのえたつ) 11歳
1233年・貞永2年(4月15日改元)・天福元年 癸巳(みずのとみ) 12歳
1234年・天福2年(11月5日改元)・文暦元年 甲午(きのえうま) 13歳
1235年・文暦2年(9月19日改元)・嘉禎元年 乙未(きのとひつじ) 14歳
1236年・嘉禎2年 丙申(ひのえさる) 15歳
1237年・嘉禎3年 丁酉(ひのととり) 16歳
1238年・嘉禎4年(11月23日改元)・暦仁元年 戊戌(つちのえいぬ) 17歳
1239年・暦仁2年(2月7日改元)・延応元年 己亥(つちのとい) 18歳
1240年・延応2年(7月16日改元)・仁治元年 庚子(かのえね) 19歳
1241年・仁治2年 辛丑(かのとうし) 20歳
1242年・仁治3年 壬寅(みずのえとら) 21歳
1243年・仁治4年(2月26日改元)・寛元元年 癸卯(みずのとう) 22歳
1244年・寛元2年 甲辰(きのえたつ) 23歳
1245年・寛元3年 乙巳(きのとみ) 24歳
1246年・寛元4年 丙午(ひのえうま) 25歳
1247年・寛元5年(2月28日改元)・宝治元年 丁未(ひのとひつじ) 26歳
1248年・宝治2年 戊申(つちのえさる) 27歳
1249年・宝治3年(3月18日改元)・建長元年 己酉(つちのととり) 28歳
1250年・建長2年 庚戌(かのえいぬ) 29歳
1251年・建長3年 辛亥(かのとい) 30歳
1252年・建長4年 壬子(みずのえね) 31歳
1253年・建長5年 癸丑(みずのとうし) 32歳
1254年・建長6年 甲寅(きのえとら) 33歳
1255年・建長7年 乙卯(きのとう) 34歳
1256年・建長8年(10月5日改元)・康元元年 丙辰(ひのえたつ) 35歳
1257年・康元2年(3月14日改元)・正嘉元年 丁巳(ひのとみ) 36歳
1258年・正嘉2年 戊午(つちのえうま) 37歳
1259年・正嘉3年(3月26日改元)・正元元年 己未(つちのとひつじ) 38歳
1260年・正元2年(4月13日改元)・文応元年 庚申(かのえさる) 39歳
1261年・文応2年(2月20日改元)・弘長元年 辛酉(かのととり) 40歳
1262年・弘長2年 壬戌(みずのえいぬ) 41歳
1263年・弘長3年 癸亥(みずのとい) 42歳
1264年・弘長4年(2月28日改元)・文永元年 甲子(きのえね) 43歳
1265年・文永2年 乙丑(きのとうし) 44歳
1266年・文永3年 丙寅(ひのえとら) 45歳
1267年・文永4年 丁卯(ひのとう) 46歳
1268年・文永5年 戊辰(つちのえたつ) 47歳
1269年・文永6年 己巳(つちのとみ) 48歳
1270年・文永7年 庚午(かのえうま) 49歳
1271年・文永8年 辛未(かのとひつじ) 50歳
1272年・文永9年 壬申(みずのえさる) 51歳
1273年・文永10年 癸酉(みずのととり) 52歳
1274年・文永11年 甲戌(きのえいぬ) 53歳
1275年・文永12年(4月25日改元)・建治元年 乙亥(きのとい) 54歳
1276年・建治2年 丙子(ひのえね) 55歳
1277年・建治3年 丁丑(ひのとうし) 56歳
1278年・建治4年(2月29日改元)・弘安元年 戊寅(つちのえとら) 57歳
1279年・弘安2年 己卯(つちのとう) 58歳
1280年・弘安3年 庚辰(かのえたつ) 59歳
1281年・弘安4年 辛巳(かのとみ) 60歳
1282年・弘安5年 壬午(みずのえうま) 61歳
注法華経・断簡
久遠仏直参信仰を創りあげた導師・日蓮
日蓮遺文から読み解く三宝について
妙法曼荼羅本尊~久遠仏の姿なき時代に顕された久遠仏
御本尊・妙法曼荼羅本尊は久遠仏の当体
釈尊御領観から「久遠仏御領観、久遠仏三界国主観」へ
日蓮の宗教的使命の自覚と新たなる展開・「国中の棟梁たる比叡山」から日蓮の「第三の法門」へ
日蓮の歩んだ道~天台沙門から一閻浮提第一の聖人へ
日蓮~法華経の行者、上行菩薩、末法の教主
日蓮遺文に見る「法華経の行者、上行菩薩」
承久の乱・宇治川の戦いが描かれた「富城入道殿御返事(弘安の役の事) (承久書)」~一国有事の危機管理の要諦を指南
日蓮の眼に映ったもの~承久の乱と蒙古襲来前夜の密教の祈祷
源実朝暗殺から承久の乱、そして日蓮へ
日蓮の一弟子・日興の入門の時期について
天台沙門、根本大師門人・日蓮
「立正安国論」をめぐって
「立正安国論」当時の日蓮は爾前権教を肯定していたのか?
「立正安国論」の「略本」「広本」「中山本」「身延本」などについて
竜口の光り物はあったのか?なかったのか?
末法の教主~竜口法難をめぐって
日蓮は曼荼羅を拝まず釈迦像を拝んでいたのか?
「大学殿の事」に学ぶ
国際情勢、自然界の働き、法の邪正
「不動・愛染感見記」について
日蓮立教初期は法華真言未分というよりも法華真言並列ではなかったか
日蓮立教初期の「法華真言並列」について
旧仏教による禅宗批判と日蓮の諸宗批判の展開
末法の教主~地引御書をめぐって
万年救護本尊の讃文に見る末法の教主
「観心本尊抄」の「本門の釈尊、脇士」をめぐって
日蓮の本尊観~「本尊問答抄」をめぐって
「報恩抄」の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」について
「報恩抄」の本門の教主釈尊とは
「報恩抄」に見る末法の教主の自覚
なぜ、妙法曼荼羅本尊が「本門の教主釈尊」「仏像」なのか?
「内記左近入道殿御返事」~三人の登場人物
宗祖御遷化記録に見る日蓮一代の三大事
天照太神と八幡大菩薩から見る妙法曼荼羅
佐渡始顕本尊と万年救護本尊の讃文に思う
釈迦仏像本尊について~「日眼女造立釈迦仏供養事」
原点回帰~日蓮が門下の釈尊像造立を讃嘆したのは何故なのか?
身延期の御書「釈迦仏」が意味するものは
釈尊に関する教示と大集経の「五五百歳・闘諍堅固・白法隠没」
「釈迦仏の御使」の意味は
日蓮仏法~白法隠沒後の末法に東土の日本より出づべき法
曼荼羅本尊と釈迦仏像本尊並列が日蓮の本意?
一閻浮提第一の本尊を一閻浮提に広宣流布する一閻浮提第一の聖人・末法の教主
創られゆく「信仰のかたち」~日本国の人々の賢父、聖親、導師
曼荼羅本尊の不動明王と愛染明王が梵字であることについて
日蓮一門は何人いたのか?
妙法曼荼羅~神仏による啓示の時代から、唱題成仏の時代へ
本門の教主・日蓮~波木井三郎殿御返事
戦場に赴く門下の心に寄り添う日蓮
日蓮幽霊板本尊について
法華経は久遠仏・曼荼羅は日蓮~日蓮図顕の曼荼羅本尊を拝する信仰
日蓮門下の神社参詣をめぐって
滅びと再生の物語
日蓮の夢~いつも他国侵逼難を憂える
日蓮の眼にみえていたもの
世界情勢、国内の動向、一門への法難、その中から生まれた妙法曼荼羅本尊
日蓮の身延入山に関する一考
自然智宗、山林修行そして日蓮
「国主帰依の本尊」一考~久遠仏三界国主論
日蓮が教示する「一閻浮提第一の御本尊」とは
「本尊問答抄」 法勝人劣思想の確立~日蓮法華教の誕生
法華経の文字に~師匠なき時代を生きるということ
佐渡始顕本尊に関する一考 1「御本尊鑑」と「妙宗先哲本尊鑑」
2 佐渡始顕本尊の相貌は佐渡期には非ずか
3 文永9年から10年の日蓮
4 「開目抄」と「観心本尊抄」そして佐渡始顕本尊
5 本門の三つの法門
6 文永10年から11年にかけての弾圧
7 「観心本尊抄」と「佐渡始顕本尊」
8 佐渡始顕本尊とNo11曼荼羅
9 佐渡始顕本尊偽作説について
10 佐渡始顕本尊讃文に関連して
まとめ
身延草庵の本尊に関する一考 1 御書に見える身延草庵の本尊
2 妙法曼荼羅は大本尊
3 佐渡の居所での曼荼羅~「観心本尊抄」と「佐渡始顕本尊の相貌」
4 「大本尊」「上行菩薩」と書かれた万年救護本尊
5 身延草庵での曼荼羅・万年救護本尊
6 最後の時にあたり日蓮の真実を残した万年救護本尊
7 一大秘法と曼荼羅本尊
8 国主の帰依と曼荼羅本尊
9 行者の内観を顕す時・行者の勝劣を決する時
10 万年救護本尊讃文と新尼御前御返事
11 万年救護本尊奉安・文永末、建治期、弘安期
12 日蓮と上行菩薩の教理的関係
13 授与書きのない臨滅度時本尊
14 日蓮と日昭
15 日蓮と日頂
16 弘安年間の授与書き
17 弘安3年・臨滅度時本尊へ
まとめ~日蓮が身延の草庵で拝していた曼荼羅本尊は?
日蓮法華教・日蓮的摂入、包摂思想とその展開~妙法曼荼羅の形相の起源をめぐって1 密教と日蓮
日蓮法華教・日蓮的摂入、包摂思想とその展開~妙法曼荼羅の形相の起源をめぐって 2 明恵房高弁と日蓮
日蓮法華信仰の周辺~安房国清澄寺に関する一考 1 清澄寺の古鐘の銘文
2 「聖」による寺院の「開山、再興」
3 清澄寺の宗旨に関する近代の考証
4 阿闍梨寂澄自筆納経札
5 清澄寺内の二つの法脈~諸説概要
6 清澄寺大衆と周辺の人物
7 清澄寺内での台密の法脈は
8 日蓮の書簡からわかること
9 清澄寺内の動向~「報恩抄」から「本尊問答抄」にいたる展開
10 聖密房御書
11 各御書に見える東密・台密批判と日蓮の動向
12 東密の鎌倉進出~清澄山の一宇と鶴岡八幡宮寺
13 日蓮と平左衛門尉の対面、阿弥陀堂法印の祈雨
14 以仁王の乱
15-1 源頼朝・鎌倉幕府と東密
15-2 源頼朝・鎌倉幕府と東密
16 寂澄と法鑁
17 関東護持奉行・弘賢
18 台密系の別当は
19 「名ばかり」の別当
20 代々の住持一宗の相続に非ず
日蓮法華信仰の周辺 鎌倉と安房国 清澄寺と虚空蔵信仰 1
日蓮法華信仰の周辺 鎌倉と安房国 清澄寺と虚空蔵信仰 2
日蓮法華信仰の周辺 鎌倉と安房国 清澄寺と虚空蔵信仰 3
日蓮法華信仰の周辺 鎌倉と安房国 清澄寺と虚空蔵信仰 4
日蓮滅後の身延山に関する一考
五老僧による「天台沙門」との名乗りは謗法ではなく師説にかなったものであるということ
日蓮滅後の門下の動向をめぐって1
日蓮滅後の門下の動向をめぐって2
日蓮滅後の門下の動向をめぐって3
板本尊(本門戒壇の大御本尊)は、いつ造立されたのか?
本門戒壇の大御本尊と呼称される板本尊をめぐって 1
本門戒壇の大御本尊と呼称される板本尊をめぐって 2
「1300年に民部日向が造立した板本尊は、本門戒壇の大御本尊が身延山に存在していた証明になる」との主張について
七面大明神祈念本門戒壇の大御本尊と最初仏
「顕仏未来記」に見る日蓮の相承観
他教団の本尊を「ニセ本尊」と罵る人につけるクスリ
日蓮生誕の日に思うこと 「片海の海人が子」から「一閻浮提第一の聖人」へ
日蓮が「仏教」よりも「仏法」を多用したのは何故か
日蓮の一弟子・日興の本尊を拝して
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最澄と道忠一門 ~山上多重塔のかなたに~ 1
最澄と道忠一門 ~山上多重塔のかなたに~ 2
エミシとその時代 1 景行天皇40年(110)~持統天皇6年(692)
エミシとその時代 2 文武(もんむ)天皇5年(701)~天平21年(749)
エミシとその時代 3 天平勝宝4年(752)~宝亀5年(774)
エミシとその時代 4 宝亀6年(775)~延暦4年(785)
エミシとその時代 5 延暦5年(786)~延暦15年(796)
エミシとその時代 6 延暦16年(797)~弘仁2年(811)
エミシとその時代 おわりに
上野国にある古碑を訪ねて・山上碑 金井沢碑
上野国にある古碑を訪ねて・多胡碑
最澄・年表 1
最澄・年表 2
最澄、最後の四年間をめぐって
空海の入唐について
親鸞の聖徳太子信仰について
熊野三山に関する一考察・はじめに
はじめに・注
1「熊野権現御垂迹縁起」と「熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記」
1・注
2「新抄格勅符抄」収載・大同元年の太政官牒と「延喜式神明帳」
2・注
3「日本霊異記」
3・注
4 高僧来訪譚
4・注
5 三宝絵詞にみえる熊野
5・注
6 熊野と大峯の斗藪 「法華験記」「諸山縁起」
6・注
7 増基法師の紀行文「いほぬし・熊野紀行」
7・注
8 貴紳衆庶の参詣
8・注
9 本地垂迹説
9・注
10「平家物語」に見える熊野信仰
10・注
11 聖地の仏教者
11・注
12 熊野三山検校の活動と本山派・当山派の成立
12・注
13 熊野三山本願所
13・注
14 聖地を創る仏教者 ~宗派を越えた熊野信仰~
14・注
主要参考文献 本文《注》表記以外
仏教の歩みに思う
日蓮について
「日蓮の法門は今日の学問的批判に耐えられない」という見解について
「日蓮滅後の寺院教学としての日蓮本仏論」から「新たなる日蓮本仏信仰」へ
中途成立の「血脈信仰」に決別し「釈尊から日蓮へと至る信仰の清流」に連なり「正道に回帰」した現代の和合僧
会憲・会則・教学要綱が釈尊(久遠の本仏)の二文字から始まることにより拓かれる一閻浮提広宣流布への道
日蓮が尊信した仏宝とは?現代の和合僧はなにをもって日蓮を仏宝と尊信するのか?
久遠実成の釈尊(久遠の本仏)が何時の時代でも説法教化しているという「我常在此娑婆世界説法教化」とはどういうことか?
一閻浮提広宣流布へ信仰の骨格を確立した和合僧・「教学要綱」が明示する「三宝」
「現実にはいつどこに存在したわけでもない架空の存在である久遠実成の釈迦仏」ではなく、確かなる存在として教理を展開した日蓮
日蓮が明言した釈迦仏の使い・日蓮自らによる仏法上の位置付け上行菩薩・法宝たる南無妙法蓮華経・日蓮遺文にない人法一箇・僧宝たる和合僧
和合僧が「寺院教学による御本尊の呼称表現」と決別するのは当然・和合僧の御本尊を罵る根源である寺院教学と決別したグローバルな教典「教学要綱」・なにをもって御本尊とするのか?
「教学要綱」にある「永遠の仏・久遠実成の釈尊」に立脚して御本尊を意義付けた日蓮
教主釈尊(久遠実成の釈尊・久遠の本仏)に仕えることに歓喜する日蓮・久遠仏直参信仰の範を示した日蓮・「永遠の仏・久遠実成の釈尊」は現実を動かす力ある存在であることを示した日蓮
永遠の仏・久遠実成の釈尊(久遠の本仏)の弟子たる上行菩薩として御本尊を顕し出世の本懐を遂げた日蓮
仏宝即本尊たる久遠の本仏を象徴的に形とした釈尊像よりも、日蓮は自己独創の文字曼荼羅に重きを置いたことがその図顕数の多さからうかがわれる
日蓮の先例「天台沙門日蓮から天台宗大批判の日蓮へ」 「以前の主張と今の主張が真逆となるのは物事の経緯によっては当然である」
「教学要綱」批判の根拠となる寺院教学・門流教学は創作話の山であり夢物語である
「時空間を超えながらも正しき師匠と共にある」ことが肝要であり、『日興門流の教学』なるものを祭り上げてそこに正統性と正当性があるというのは大いなる勘違いではないか
世界的人物である釈尊と日蓮を一寺院の創作神話の世界に落とし込み、寺信心の域にとどめてはいけない
天台沙門と称した日蓮が「文永の役」を契機に、凄まじいまでの台密・天台批判に転じているが、その見事なる意識・思考の切り替えに続くのは今、まさにこの時
御本尊への信が肝要であり、社会的活動・仕事の関係で他の宗教と関わることにはなんの問題もない
「諸法実相抄」の「凡夫本仏」の文について
「自解仏乗」について
互為主伴について
その時の到来~日本国の広宣流布から世界宗教への飛翔
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