「自解仏乗」について

 

「教学要綱」への批判

「教学要綱」には「日本の鎌倉時代に生きた日蓮大聖人は、インドで成立した大乗仏教の代表的な経典の一つである『法華経』を根本の経典と定めて、万人の救済する新しい修行法を確立された」(p19)とあるが、誤りではないか。

法華経は日蓮が依拠する根本の経典ではなく、法華経によって妙法を覚知したのでもない。日蓮は「自解仏乗」(寂日房御書)であり、日蓮にとっては、法華経は妙法を弘通するために用いるものにすぎない。日蓮を本仏として信仰するならば、このような日蓮の「自解仏乗」との教示こそ用いるべきではないか。

 

 

「寂日房御書」 弘安2年(1279916日 58

日蓮となのること、自解仏乗とも云いつべし。かように申せば利口げに聞こえたれども、道理のさすところ、さもやあらん。経に云わく「日月(にちがつ)の光明の、能く諸の幽冥(ゆみょう)を除くがごとく、この人は世間に行じて、能く衆生の闇を滅す」と。この文の心よくよく案じさせ給え。

 

 

「寂日房御書」の真蹟はなく写本のみですが、ここでは真偽論は横に置き本文に立ち入って考えてみましょう。自解仏乗とは、仏教一般では「師匠から教えを受けることなく自ら仏法の義、仏の境智を悟ること」とされていますが、「寂日房御書」に「自解仏乗」と書かれた意味はどのようなものなのでしょうか。

 

文中、該当箇所の少し前では、「日蓮は日本第一の法華経の行者なり」と宣言し、その故は「すでに勧持品の二十行の偈の文は、日本国の中には日蓮一人よめり」だからであり、「八十万億那由他の菩薩は、口には宣べたれども修行したる人一人もなし」と口ではなく、法華経の経文通りに行じたことを以て「よ()めり」としています。日蓮による自己の仏教上の位置付けは「法華経の行者」なのです。そして「かかる不思議の日蓮」の「父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人」といえるだろうとし、「父母となり其の子となるも必ず宿習」と説きます。

 

次の一節では「若し日蓮が法華経・釈迦如来の御使いならば父母あに其の故なからんや」と記しています。これは「もし日蓮が法華経と釈迦如来の使いであるならば、父母にもどうして深い宿縁がないことがあろうか」としているのであり、日蓮は「法華経と釈迦如来(久遠実成の釈尊・久遠の本仏)の使い」という仏法上の使命を明示していることに注目すべきでしょう。即ち、「寂日房御書」の文中では、日蓮は「使い」なのであり、「法華経」「釈迦如来(久遠実成の釈尊・久遠の本仏)」を超越するものではないということになります。

 

このような日蓮と両親の関係は、法華経妙荘厳王本事品第二十七に説かれる「妙荘厳王・浄徳夫人・浄蔵・浄眼の如し」(浄蔵・浄眼の二王子は両親・妙荘厳王・浄徳夫人を仏門へと導く)であり、釈迦・多宝の二仏、日蓮が父母と変じ給ふか」釈迦仏・多宝仏が日蓮の父母となったかのようであり、「然らずんば八十万億の菩薩の生まれかわり給ふか」そうでなければ、八十万億の菩薩が生まれ変わったのであろうか、「又上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か」上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹だろうかとして、これについて「不思議に覚え候」と記しています。

 

日蓮は更に続けます。

「一切の物にわたりて名の大切なるなり」

一切の物にわたって「名」というものは大切なものである。

 

「さてこそ天台大師、五重玄義の初めに名玄義と釈し給へり」

故に天台大師は五重玄義の初めに名玄義を解釈した。

 

「日蓮となのること、自解仏乗とも云いつべし」

私が「日蓮」と名乗ることは自解仏乗ともいうべきである。

 

「かやうに申せば利口げに聞こえたれども、道理のさすところさもやあらん」

このように言えば利口げに聞こえるだろうが、道理の指すところ、そのようなこともあるだろう。

 

「経に云はく『日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す』と。此の文の心よくよく案じさせ給へ」

法華経如来神力品第二十一に「日や月の明かりが能く諸々の幽冥を除くように、この人は世間に行じて、能く衆生の闇を滅することでしょう」とあるが、この文の意味をよくよく考えるべきである。

 

日蓮は自らの「日蓮」との名乗りの依拠として、神力品第二十一の「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く、斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」を引用します。

 

この一節を依文として「日蓮は自解仏乗であり、師なくして悟った本仏である」との説が展開されるわけですが、しかしながら前段までにおいて、既に自己の仏教上の位置付けを「法華経の行者」「法華経・釈迦如来の御使ひ」としていることを踏まえた上で、当該箇所は読むべきといえるでしょう。

 

日蓮は「法華経・釈迦如来の御使い」として法華経・題目を弘法し、大難を受けた後、自己は「日本第一の法華経の行者」であると確信したのであり、法華経を色身で真に読んだのは「日蓮一人読めり」「一人もなし」なので他にはいない。そのような宗教的確信、高揚感、更には「仏の使い」という自己の使命を覚知した境地からの、「日蓮となのること、自解仏乗とも云いつべし」という一表現であったと考えられるのではないでしょうか。

 

青年期の日蓮は周知のように、師に恵まれずして経典に没頭しながら法華経に説かれる真理を得たのであり、本書の系年とされる弘安29月頃には、法華勧奨・妙法弘通の活動での熾烈な弾圧を乗り越えた自負心も横溢していたことでしょう。このような日蓮独特の内面世界が時にして、かような表現を成さしめたともいえるのではないでしょうか。

いずれにしても、「日蓮」という名乗りの由来を述べるくだりで「自解仏乗とも云いつべし」としたものであり、自己に関しての本仏論として展開されているものでないことは読み取れます。

 

続いての記述によれば、日蓮は「我れ仏なり」という意味で「自解仏乗とも云いつべし」と記したものではないことが、さらに明瞭であるといえるでしょう。以下の文によれば、日蓮は自己を、妙法蓮華経を唱え、広める上行菩薩であることを暗示しながら、「上行菩薩の御使い」ともしています。

 

「『斯人行世間(しにんぎょうせけん・この人は世間に行じて)』の五つの文字(もんじ)は、上行菩薩、末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇をてらすべしと云ふ事なり」

「斯人行世間(しにんぎょうせけん・この人は世間に行じて)」の五つの文字は、上行菩薩が末法の始めの五百年に出現し、南無妙法蓮華経の五字七字の光明をさしいだして、無明煩悩の闇を照らすということである。

 

「日蓮はこの上行菩薩の御使いとして、日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしはこれなり」

日蓮は上行菩薩の使いとして、日本国の一切衆生に法華経最第一の説示をなして、受け持てと勧めてきたのはこのことなのである。

 

「此の山にしてもおこたらず候なり」

それは、この身延山に入ってからも怠ってはいない。

 

「今の経文の次下(つぎしも)に説いて云はく『我(われ)滅度して後において、応(まさ)にこの経を受持すべし。この人は仏道において、決定して疑いあることなけん』云云」

日蓮は続けて神力品第二十一の文「於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑・我が滅度の後においては、まさに法華経を受け持つべきである。この人は仏道において必ずや成仏するであろうことは疑いない」を引用します。

すぐ前には「日蓮は上行菩薩の使いとして」とありますが、神力品第二十一の文を引用するに及んで、「自身は釈尊より付属を受けて法を弘める上行菩薩であることを暗示したもの」、また、「仏より付属された法によってこそ成仏は叶うことを明らかにした」のではないでしょうか。

 

中略しますが、文末では「法華経は後生のはじをかくす衣なり」「この御本尊こそ冥途のいしょうなれ」として、「おとこのはだえをかくさざる女あるべしや。子のさむさをあわれまざるおやあるべしや」と法華経・御本尊を妻・親に例え、「釈迦仏・法華経は、めとおやとのごとくましまし候ぞ」と釈迦仏・法華経を常時寄り添う妻、我が親ともするのです。

 

以上見てきたように「寂日房御書」で説いていることは、日蓮は教主釈尊(久遠実成の釈尊・久遠の本仏)の弟子の立場であり、それを「題目の行者」「日本第一の法華経の行者」「法華経・釈迦如来の御使い」「上行菩薩の御使い」と記すことにより鮮明にして、ある夫人に対して(弟子檀越に対して)法華経・御本尊への確信を深め、「かかる者の弟子檀那とならん人々は宿縁ふかしと思いて、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。法華経の行者といはれぬる事不祥なり」と、日蓮の成したような法華勧奨・妙法弘通を行うよう勧めている、というものではないでしょうか。

 

 

※本書の背景としては、ある女性が寂日房に御本尊授与を仲介してくれるように頼み、依頼を受けた寂日房が使者を身延山の日蓮のもとに派遣し、それに対して日蓮が曼荼羅本尊を図顕して女性信徒の更なる信仰増進を促した書状とされています。

 

 

2024.9.15