「現実にはいつどこに存在したわけでもない架空の存在である久遠実成の釈迦仏」ではなく、確かなる存在として教理を展開した日蓮

1 日蓮が本気でその存在を信じ、自らの信仰の対象・仏宝として尊信した久遠実成の釈尊(久遠の本仏)

 

須田晴夫氏の「『創価学会教学要綱』の考察」より引用(p18~19)

以下、「考察」と表現

 

「歴史的に見ても法華経は紀元一世紀ないしは二世紀頃に成立した初期大乗経典の一つであり、寿量品に説かれた久遠実成の釈迦仏といっても実在の存在ではなく、法華経制作者が創作した観念上の存在に過ぎない。先に述べたように、久遠実成の釈迦仏とは、釈迦仏を含む一切の仏が根源の法(=妙法)を因として成仏した存在であるという「能生・所生」の思想を打ち出すために法華経制作者が作り上げた一つの観念なのである。阿弥陀如来や大日如来など、経典に説かれる諸仏と同じく、現実にはいつどこに存在したわけでもない架空の存在である。久遠実成の釈迦仏が三十二相を備える色相荘厳の仏であると説かれることもそれが架空のものであることを示している。

体が金色で眉間の白毫から光明を発するなどの三十二相の姿は神話的思考の中で生きていた古代人を引き付けるための手段として説かれたものであり、現実にそのようなウルトラマンのようなものが存在するはずもない。」

以上、引用

 

 

「考察」では久遠実成の釈尊について、「現実にはいつどこに存在したわけでもない架空の存在である」としていますが、日蓮は自らが創出した妙法曼荼羅本尊について「此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて」(新尼御前御返事 文永12216日 真蹟 定P864)と、教主釈尊=久遠実成の釈尊=久遠の本仏が遠い過去より心中におさめていたものであると教示しています。

 

さらに文永1112月に図顕した万年救護本尊の讃文では、「我が慈父(釈尊)は仏智を以て大本尊を隠し留めて、末法の為にこれを残された(釈尊より上行菩薩に譲られた)」と定義しています。

 

ということは、日蓮にとっては久遠実成の釈尊=久遠の本仏は現実にはいつどこに存在したわけでもない架空の存在である」のではなく、確かなる存在であったことになります。また、そのように日蓮が定義した以上、私たちが現実にはいつどこに存在したわけでもない架空の存在である」久遠の本仏由来の御本尊を朝晩拝しているということは有り得ないわけです。

 

もちろん、教主釈尊=久遠実成の釈尊=久遠の本仏が、日蓮図顕曼荼羅を知るはずがありませんし、法華経には妙法曼荼羅本尊を授与する記述もありません。しかしながら、日蓮は自らの妙法曼荼羅本尊は久遠実成の釈尊・久遠の本仏に由来するものであると定義するのです。

 

これは法華経を身読して経文通りの法難にあった日蓮の宗教的達観にして、感得したところのものであり、即ち皆が拝する妙法曼荼羅本尊の意義を覚知した日蓮の独創的な表現であり、余人がそこに立ち入り云々できるものではないといえるでしょう。

 

このような展開は、『新しき教えはこのようにして生まれる』ということを端的に示すものではないでしょうか。宗教・仏教の歩みを示すものとして見たら、簡潔明瞭かつ要点が凝縮された貴重な史料でもあるでしょう。

 

覚者に連なる求道者が覚者の信仰世界に入り、胸中で対話を、現実で実体験を重ねることによる覚知から新たなる教えが生まれ、求道者は新しき導師となり、新しき信仰世界が創出される。

仏教の歩みというのは、『人間の心がいかに雄大であるかを物語る旅』でもあるように思います。

 

 

2法華経に説かれる久遠実成の釈尊=久遠の本仏(久遠仏)

 

「考察」では久遠実成の釈尊について、「現実にはいつどこに存在したわけでもない架空の存在である」としますが、法華経では久遠実成の釈尊、即ち久遠の本仏(以下、略して久遠仏)に「主師親の三徳」がそなわると説示されております。「観念上の存在に過ぎない・架空の存在である」どころではありません。しかも日蓮はそのことを建治36月の「下山御消息」(真蹟断片)で、「一経の肝心ぞかし」と教示しています。

 

 

・譬喩品第三の偈文

「今此の三界は皆是れ我が有なり」との「主の徳」

「其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」との「親の徳」

「而も今此の処は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護を為す」との「師の徳」

 

 

如来寿量品第十六偈文

「我が此の土は安穏にして天人常に充満せり」との「主の徳」

「常に法を説いて無数億の衆生を教化して」との「師の徳」

「我も亦為れ世の父」との「親の徳」

 

 

・さらには、如来寿量品第十六では、久遠仏は常に娑婆世界に存在し説法教化を重ねていると説いています。

 

「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」

 

「我成仏してより已来、復此に過ぎたること百千万億那由佗阿僧祇劫なり。是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」

 

「然るに我、実に成仏してより已来、久遠なること斯の若し」

 

 「是の如く、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず」

 

 

法華経そのものが久遠仏に「主師親の三徳」が備わるとし、「我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」常住にして滅せず」ですから、久遠仏は過去から未来へ娑婆世界に在って絶えることなく説法教化すると示されているわけです。

 

日蓮の布教活動は、阿弥陀如来、大日如来、薬師如来、観音菩薩等の仏菩薩像を拝する人々に対しての法華勧奨と専修唱題であり、即ち日蓮は久遠仏の教えを弘めその経典・法華経の最第一であることを強調しました。

 

日蓮自身の教説は明確に久遠仏の遣いであり、まさに「如来使」といえるでしょう。譬喩品第三の偈文などは「南条兵衛七郎殿御書」(P320)、「法門可被申様之事」(P443)など多くの遺文に引用されるところですが、建治期の「下山御消息」をもう一度確認してみましょう。

 

 

法華経の第二の巻に主と師と親との三つの大事を説き給へり。一経の肝心ぞかし。その経文に云く「今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯我一人のみ能く救護を為す」等云云。又此の経に背く者を文に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず」乃至「其の人命終して 阿鼻獄に入らん」等云云。(P1340)

 

 

3日蓮法華信仰の骨格ともいえる久遠仏の存在

日蓮は法華経を通しての、生身の釈迦仏=久遠仏への直参と尊信を強調します。

「久遠仏三界国主論」ともいうべき、久遠仏が三界の国主である教示を重ねています。

三界は皆、久遠仏の御所領である」と説き、日蓮の宗教的世界観が示されています。

それは五百塵点劫という遠い過去より続いており、娑婆世界は久遠仏の所領であることを強調します。

 

このことは、「考察」で「実在の存在ではない」「観念上の存在に過ぎない」「一つの観念」「架空のものである」「手段として説かれたもの」「ウルトラマンのようなもの」「存在するはずもない」とされた久遠仏が、「日蓮は久遠仏がそこに存在していると確信し、尊信し抜いた」ことを示すものでしょう。日蓮法華の信仰では、そこに久遠仏が存在しているのです。

 

日蓮一門の弟子檀越の眼に映った師匠日蓮の姿は、まさに「久遠仏直参信仰の導師」だったことでしょう。

 

 

文永9年「四条金吾殿御返事(梵音声書)(日興本・北山本門寺)

教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師なり。(P664)

釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一つなり。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあ()ひまい()らせたりとおぼしめすべし。(P666)

 

 

正嘉3年・正元元年「守護国家論」(真蹟曽存)

法華経に云はく「若し法華経を閻浮提に行じ受持すること有らん者は応に此の念を作すべし。皆是普賢威神の力なり」已上。

此の文の意は末代の凡夫法華経を信ずるは普賢の善知識の力なり。

又云はく「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念(しょうおくねん)し修習し書写すること有らん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり。仏口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり」已上。

此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏なり。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後たりと雖も仏の在世なり。(P123)

 

北インドに誕生した人物としてのガウタマ・シッダールタが未来永遠に「常に此の娑婆世界に在って」法を説くことは有り得ないわけで、日蓮の遺文に「釈迦仏、釈迦牟尼仏、釈迦如来、教主釈尊」とある時、それは「久遠実成の釈尊・久遠仏」を意味することが理解できます。しかも、「此の経(法華経)を信ずる者の前には滅後たりと雖も仏の在世なり」ですから、「教学要綱」に記された「永遠の仏―久遠実成の釈尊」は、日蓮の教示そのものであるといえます。

 

 

文永元年1213日「南条兵衛七郎殿御書」(真蹟断片)

御所労の由承り候はまことにてや候らん。世間の定めなき事は病なき人も留(とど)まりがたき事に候へば、まして病あらん人は申すにおよばず。但心あらん人は後世をこそ思ひさだむべきにて候へ。又後世を思ひ定めん事は私にはかな()ひがたく候。一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。(P319)

中略

法華経の第二(譬喩品第三)に云く「今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受」等云云。此の文の心は、釈迦如来は此れ等衆生には親也、師也、主也。我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてましませども、親と師とにはましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親、師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ。この親と師と主との仰せをそむかんもの、天神地祇にすてたれたてまつらざらんや。不孝第一の者也。(P320)

 

 

文永6年「法門可被申様之事」(真蹟)

法門申さるべきやう。選択をばうちを()きて、先づ法華経の第二の巻の今此三界の文を開きて、釈尊は我等が親父なり等定め了(おわ)るべし。(P443)

中略

釈尊は我等が父母なり。一代の聖教は父母の子を教へたる教経なるべし。()

中略

教と申すは師親のをしえ、詔と申すは主上(しゅじょう)の詔勅(みことのり)なるべし。仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり。されば四十余年の経々につきて法華経へうつ()らず、又うつれる人々も彼の経々をすてゝうつ()らざるは、三徳を備へたる親父の仰せを用ひざる人、天地の中にすむべき者にはあらず。(P445)

 

 

文永9218日「八宗違目抄」(真蹟)

法華経第二(譬喩品第三)に云く「今此三界 皆是我有」主国王世尊也。「其中衆生 悉是吾子」親父也。「而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護」導師。寿量品に云く「我亦為世父」文。(P525)

 

 

文永9年「祈祷抄」(真蹟曽存)

仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而も開導の師なり。(P676)

中略

釈迦仏独り主師親の三義をかね給へり。(P677)

 

 

文永11524日「法華取要抄」(真蹟)

此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来教主釈尊の愛子なり。(P812)

 

 

建治元年58日「一谷入道御書」(真蹟断片)

梵王の一切衆生の親たるが如く、釈迦仏も又一切衆生の親なり。又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の恩なり。黒白を弁ふるも釈尊の恩なり。(P992)

中略

此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子(みでし)御民ぞかし。()

 

 

建治36月「下山御消息」(真蹟断片)

抑釈尊は我等がためには賢父たる上、明師なり聖主なり。一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て、未来悪世を鑑み給ひて記し置き給へる記文に云はく「我涅槃の後、無量百歳」云云。仏滅後二千年已後と見へぬ。又「四道の聖人悉く復涅槃せん」云云。付法蔵の二十四人を指すか。「正法滅後」等云云。像末の世と聞こえたり。(P1319)

 

 

建治3625日「頼基陳状(三位房龍象房問答記)(龍象問答抄)

(再治本写本・未再治本写本 北山本門寺蔵)

所謂「今此の三界は皆是我が有なり。其の中の衆生は悉く是吾が子なり」文。文の如くば教主釈尊は日本国の一切衆生の父母なり、師匠なり、主君なり。阿弥陀仏は此の三の義ましまさず。而るに三徳の仏を閣(さしお)いて他仏を昼夜朝夕に称名し、六万八万の名号を唱へまします。あに不孝の御所作にわたらせ給はずや。(P1356)

 

 

弘安3529日「新田殿御書」(真蹟)

使ひの御志限り無き者か。経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願必ず成就せんか。

(P1752)

 

 

弘安3713(或は建治3)「盂蘭盆御書」(真蹟)

されば此等をもって思ふに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒なり無智なり。二百五十戒一戒も持つことなし。三千の威儀一つも持たず。智慧は牛馬にるい()し、威儀は猿猴(えんこう)にに()て候へども、あを()ぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。例せば蛇の珠(たま)をにぎり、竜の舎利を戴けるがごとし。(P1775)

 

 

弘安396日「上野殿後家尼御前御書」(真蹟)

追申。此の六月十五日に見奉り候ひしに、あはれ肝ある者かな、男なり男なりと見候ひしに、又見候はざらん事こそかなしくは候へ。さは候へども釈迦仏・法華経に身を入れて候ひしかば臨終目出たく候ひけり。(P1793)

 

 

弘安517日「四条金吾殿御返事(八日講御書)(真蹟断片)

然るに日本国皆釈迦仏を捨てさせ給ひて候に、いかなる過去の善根にてや法華経と釈迦仏とを御信心ありて、各々あつ()まらせ給ひて八日をくやう(供養)申させ給ふのみならず、山中の日蓮に華かう()ををく()らせ候やらん、たうとし、たうとし。(P1906)

 

 

文永122または建治3821「神国王御書」(真蹟)

仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり、主なり、親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり。(P881)

 

 

系年、文永初期「断簡53(真蹟)

是我有 其中衆生 悉是吾子等云云。この文のごとくならば、この三界は皆釈迦如来の御所領なり。寿量品に云く「我常に此の娑婆世界に在って」等云云。この文のごとくならば、過去五百塵点劫よりこのかた、此の娑婆世界は釈迦如来の御進退の国土なり。(P2496)

 

 

建治元年58日「一谷入道御書」(真蹟断片)

娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領なり。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子なり(P992)

 

 

建治36月「下山御消息」(真蹟断片)

法華経出現の後は已今当の諸経の捨てらるゝ事は勿論也。たとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに、今の日本国の人々、道綽が未有一人得者、善導が千中無一、慧心が往生要集の序、永観が十因、法然が捨閉閣抛等を堅く信じて、或は法華経を抛ちて一向に念仏を申す者もあり、或は念仏を本として助けに法華経を持つ者もあり、或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり、或は念仏と法華経と一法の二名也と思ひて行ずる者もあり。此れ等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して、師主をば指し置き奉りて、阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に毎国毎郷毎家々並べ立て、或は一万二万、或は七万返、或は一生の間、一向に修行して主師親をわすれたるだに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生御入滅の両日を奪ひ取りて、十五日は阿弥陀仏の日、八日は薬師仏の日等云云。一仏誕入の両日を東西二仏の死生の日となせり。是れ豈に不孝の者にあらずや。逆路七逆の者にあらずや。人毎に此の重科有りて、しかも人毎に我が身は科なしとおもへり。無慚無愧の一闡提人也。(P1339)

 

日蓮は浄土教を信奉する、また阿弥陀仏と法華経を並べ拝む、念仏を唱え法華経を読む等の浄土法華兼修信仰を批判。続いて日本での浄土教の展開を記述する中で、久遠仏に主師親がそなわること、日本国は久遠仏の御所領であるとの認識を示しています。

 

2024.9.1