永遠の仏・久遠実成の釈尊(久遠の本仏)の弟子たる上行菩薩として御本尊を顕し出世の本懐を遂げた日蓮
聖人御難事
日蓮末法に出(い)でずば、仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明(しょうみょう)なり。仏の滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言(みこと)を助けたる人、ただ日蓮一人なり。
過去・現在の末法の法華経の行者を軽賤する王臣・万民、始めは事なきようにて、終にほろびざるは候わず。
弘安2年(1279)10月1日、門下一同に宛てた書状「聖人御難事」で、日蓮は自らの仏法上の立場について「仏の御言(みこと)を助けたる人、ただ日蓮一人なり」と明示します。
釈尊出世の本懐たる法華経を最第一とする日蓮の常の教説からすれば、文中の仏はインド北部に誕生したガウタマ・シッダールタにして法華経如来寿量品第十六に説かれる久遠実成の釈尊=久遠の本仏であり、日蓮は仏の言葉=法華経の経文を証明する役割、即ち仏滅後の弘教を託された上行菩薩たることを自己認識していたことが理解できます。
同時に「日蓮末法に出(い)でずば」「ただ日蓮一人なり」等の躍動感と確信漲る文面からは、久遠の本仏の教説が真実であることを証明せんとして法華勧奨・妙法弘通に生き抜き、大難を乗り越えて成し遂げた達成感・高揚感に包まれていることがうかがわれるのではないでしょうか。
ここにおいて、「教学要綱」の「永遠の仏・久遠実成の釈尊」(p27)を証明したのがほかでもない日蓮であったといえるでしょう。また、日蓮の文字曼荼羅図顕の最盛期ともいえるのがこの頃・弘安年間ですから、「教学要綱」の「日蓮は上行菩薩の使命に立ち、南無妙法蓮華経を覚知した究極的な自覚の上から文字曼荼羅の御本尊を顕した」(p76・趣意)との解説が正当であることも理解できます。
忘れてはならないのは、日蓮は「聖人御難事」の冒頭で「余は二十七年なり」と、自らの出世の本懐に触れていることです。
出世の本懐の内実はここでは横に置きますが、日蓮は永遠の仏・久遠実成の釈尊の弟子たる上行菩薩として出世の本懐を遂げたことが、「聖人御難事」から読み解けるのではないでしょうか。
一方では自己独創の文字曼荼羅を図顕して弟子檀越に授与、「本尊」として拝することを促しているのですから日蓮は多分に「教主」としての意識を有していたといえます。
久遠の本仏の弟子として「久遠仏のもとへ衆生を直参させる信仰の導師」でありながら、一切衆生を自己の真実に目覚めさせる=成仏へと導く文字曼荼羅を顕す教え主・教主でもあった日蓮。結果として日蓮の創り上げた法門はインド、中国、朝鮮という伝来の国々からの仏教を日本化したものとなっており、そのような観点からは、日蓮は「日本の仏法」(諌暁八幡抄)の創唱者といえるのではないでしょうか。
「久遠仏を仏宝として尊信する上行菩薩の使命に生きた日蓮」
「弟子でありながら教主であった日蓮」
このようなところが日蓮理解を難しくする一方、日蓮を読み解く探求の喜びを今日の私達に提供しているといえるのかもしれません。
2024.10.5