6 虚空蔵菩薩

(1)  虚空蔵菩薩求聞持法の誕生

 

日蓮の時代における清澄寺は台密、東密の修学が行われ、虚空蔵菩薩求聞持法を修する山林修行の霊場として喧伝されていた。ここでは、インド、中国における虚空蔵菩薩求聞持法誕生の源を、正木晃氏の論考「虚空蔵信仰の史的展開」(「虚空蔵信仰」佐野賢治氏編 1991 雄山閣出版)の教示により確認してみよう。

 

◇古代インドで隆盛したマカダ国の王朝・チャンドラグプタ(?~紀元前298年頃)の時代以降、大乗仏教はヴェーダ以来の伝統を継承する諸法儀礼を導入。結果、密教儀礼は整備充実されていく。この潮流のなかで、求聞持を標榜する陀羅尼経典が登場。

 

⇒儀礼とは、等置、同一化の論理によって成立する。端的には、小宇宙と大宇宙の等質的対応の論理。

 

⇒陀羅尼経典に説かれる不可思議なる力により儀礼を行い、記憶力の向上を目指す経典の登場。

 

 

◇「陀羅尼雑集」(チャンドラグプタの時代に作成されたと推測される個々の儀軌を集成したもの)には五つの求聞持法が説かれている。

 

①「仏説若欲読誦一切経典先誦比陀羅尼」

 

②「聞持陀羅尼」

⇒記憶向上に卓見ある陀羅尼を説く。聞持陀羅尼、法陀羅尼そのものだが、陀羅尼読誦の遍数、その他に関する記載がなく簡略で、儀軌の形を成していない。

 

③「仏説多聞陀羅尼」

 

④「観世音説呪薬服得一聞持陀羅尼」

 

⑤「観世音説呪五種色昌蒲服得聞持不忘陀羅尼」

⇒薬物を陀羅尼読誦により加持して、後に薬物を服せば記憶抜群となることを説く。このような神薬信仰はヴェーダ時代のソーマ酒信仰にまで遡り、以来、牛蘇崇拝の形態を中心に続いたものの発展形が、虚空蔵求聞持法の牛蘇加持法となる。

 

「仏説多聞陀羅尼」の秘薬は、婆囉弥支多翅(不明)、白呵梨勒、畢鉢利(胡椒)の混合物と蘇と蜜を用いる。

「観世音説呪薬服得一聞持陀羅尼」の秘薬は、婆藍弥毘那耆薬(不明)と乳を用いる。

 

「観世音説呪五種色昌蒲服得聞持不忘陀羅尼」は昌蒲根を用いる。

 

 

◇続いて登場した「虚空蔵菩薩問七仏陀羅尼呪経」は、いくつかの陀羅尼とそれらを以てする儀礼を明かす陀羅尼経典であり、中でも「大威徳陀羅尼呪」を受持・記憶すれば「所有習誦一聞領悟終不忘失」と説示する。虚空蔵菩薩は「維摩経」(鳩摩羅什訳の「維摩詰所説経」が知られる)に現れる古い菩薩だが、虚空蔵菩薩と求聞持法を結びつける経典は、「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」なとの経典に説かれるにすぎない。

 

五世紀になると「阿毘達磨倶舎論」(世親著)や「ヨガスートラ」などの経典に、記憶に対する本格的な概念付けがなされるようになる。「ヨガスートラ」は仏教やサーンキヤ学派の影響下で編纂され、ヨーガ実修に関わる高度の思弁を展開し、真我の独存について述べた第四章では業・思惟と記憶の関係が精緻に語られるも、「生と薬草と呪文と苦行と三昧から生ずる超能力」へと収斂されてしまうものであった。

 

 

 

◇ハルシャ・ヴァルダナ (戒日王・590647、古代北インド最後の統一王朝・ヴァルダナ朝の王)が王位にあった時代(606647)に成立した「陀羅尼集経」は、陀羅尼経典より一段高度な密教経典への過渡期に位置している。

 

・「般若波羅蜜多聡明陀羅尼」「般若心陀羅尼」「般若聞持不忘陀羅尼」「文殊師利菩薩法印呪」は、陀羅尼読誦による求聞持法を説く。特に「般若波羅蜜多聡明陀羅尼」は本格的な儀軌を有し、「憶念不忘之力」「無上正等菩提」の獲得が示され、それらを説かない「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」より高度なものである。

 

・「観世音菩薩随心印呪」も本格的な儀軌を有し牛蘇加持による求聞持法を説くが、それは虚空蔵求聞持法の牛蘇加持法と寸分違わないもので、結願日を日蝕、月蝕の日にあて、悉地成就の際に溫煙火の三相を現ずる、と説いている。

 

・「般若無尽蔵印呪」は求聞持法に近い修法を説いており、陀羅尼読誦百万遍の記載がある。

 

⇒「陀羅尼集経」の段階において、虚空蔵求聞持法を構成する個々の要素が完成している。

 

 

◇上記を取りまとめる形で、虚空蔵求聞持法の本軌である「虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」経一巻が誕生する。

 

                   奈良の大仏横の虚空蔵菩薩(左)
                   奈良の大仏横の虚空蔵菩薩(左)

(2)虚空蔵菩薩と産鉄

①谷有二氏著「日本山岳伝承の謎」

 

各地に虚空蔵信仰が伝わり定着する過程で、特に金、銀、銅、鉄、金属、産鉄等と虚空蔵信仰は関わり、結びつきが生まれたようだ。谷有二氏の著作「日本山岳伝承の謎」(1983 未来社)では、山形県南陽市の白鷹山を源流として28キロ南流する吉野川(一名を逆川)流域にある神明鉱山(開坑口碑は平安時代後期の康治年間[11421144]を指している)、吉野鉱山(戦国時代から江戸時代にかけて繁栄したという)と、上流の白鷹山には虚空蔵堂があるところから虚空蔵山と呼ばれていることを挙げて、虚空蔵菩薩と金属の関わりを指摘(同書P158P160)。続けて「日本三大虚空蔵尊」(実際には、どの寺院を指すかについては諸説あり)とされる、虚空蔵菩薩信仰の寺院の近くで金鉱、銀山、銅山があることを紹介する(P167P168)

 

・大同年間(806810)開基伝承を持つ柳津の虚空蔵尊=臨済宗妙心寺派・円蔵寺(福島県河沼郡柳津町柳津字寺家町甲)と福島県会津地方の軽井沢銀山(柳津町)

 

・宮城県登米市の柳津の虚空蔵様=真言宗智山派・宝性院(宮城県登米市津山町柳津字大柳津)と北上川北岸・大判山中腹にある古い金鉱六ヶ所。附近一帯には廃石が多く、山麓に入槌、麻ケ崎、金山谷の地名がある。

 

・茨城県東海村村松の虚空蔵様=真言宗豊山派・村松山虚空蔵堂(茨城県那珂郡東海村村松)

と東海の浜砂鉄、日立銅山(筆写⇒正確には戦国時代の佐竹氏による大久保[現在の日立市内]での金の採掘と、江戸時代の水戸藩による赤沢銅山での銅の採掘となるか)

 

 

                    会津柳津の虚空蔵尊 円蔵寺
                    会津柳津の虚空蔵尊 円蔵寺
                        猪苗代湖
                        猪苗代湖

 

谷氏は、虚空蔵の地名及び虚空蔵菩薩像と金属の関連を指摘される(P167P171)

 

・上州武尊山麓薄根川沿いで、鉄を採掘した金山山頂から続く一支峰の立岩に虚空蔵堂が建てられ、虚空蔵山と呼ばれる。

 

・武尊東麓、花吹登戸の覆景山虚空蔵堂、金属性の山。

(筆写⇒群馬県利根郡片品村登戸の近くには鍛冶屋の地名あり)

 

・山形県出羽三山の北にある1090メートルの虚空蔵岳。

 

・山形県上山市の西方2キロにある355メートルの虚空蔵山。蔵王山は金属性の山で、蔵王連峰山形側は金属地帯であり、西郷、三上、小笹、本庄、富良美、逢坂、古屋敷、東宝、大南沢などの鉱山が並ぶ。

 

・宮城県栗駒町と花山村(現在は共に合併して栗原市)の境にある、1404メートルの虚空蔵山は鉱物の山である。

 

・福島県喜多方市周辺も鉱物に恵まれ、近くに304メートルの虚空蔵森がある。

 

・新潟県笹神村(現在は阿賀野市)では六世紀のタタラ遺跡が発見され、362メートルの虚空蔵山がある。

 

・岐阜県の高賀三山の一峰・瓢(ふくべ)岳に虚空蔵尊が祀られているが、山麓には銅山がある。

 

・埼玉県秩父市黒谷には鉱山があり、金山遺跡から室町時代のものと推測される銅製虚空蔵菩薩が出土している。

 

 

                       群馬 武尊山
                       群馬 武尊山

 

このような虚空蔵菩薩と産鉄の山との関係の淵源は、同書によれば平安時代以降、虚空蔵菩薩を信仰した吉野・熊野等の修験者達が各地を巡り現地の人々を教化すると共に、鉱脈を探し当てて産鉄の山を開発。そこに産鉄神として虚空蔵菩薩を安置したところから発生したもの、ということになるだろうか。同書が著されて以降は台密、東密の「聖」による伝道教化と各地の開発整備も指摘されているので、現在では「修験者」に「聖」を加えてもよいと思う。

 

 

< 熊野・吉野について >

 

寛治4(1090)、白河上皇(天喜元年・1053~大治4年・1129)が熊野に参詣。その際、先達を務めた園城寺長吏・増誉(ぞうよ 長元5年・1032~永久4年・1116)が熊野三山検校(くまのさんざんけんぎょう)に補任される。熊野三山検校は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社からなる熊野三山を統轄する役職として新設されたもので、在地支配者の熊野別当の上に置かれた。増誉は寛治4(1090)より永久4(1116)まで熊野三山検校に在職した。これ以降、園城寺長吏と熊野三山検校が兼務職となって、園城寺が熊野修験を統轄するようになる。鎌倉時代末の検校・覚助法親王(元亨元年・1321~元亨3年・1323在職)以降は、検校職は聖護院門跡(増誉が創建)の重代職となり、後に本山派としてその勢力を増大させていく。

 

吉野の金峯山(きんぷせん)では、大和の東大寺や法隆寺、松尾寺、伊勢・世義寺等の修験者が奥地の大峯山(おおみねさん)に入山し、大峯山の小笹を拠点とする当山正大先達衆と呼ばれる結衆を作る。三十六余の寺院から正大先達が出たことから、当山三十六正大先達衆とも称した。正大先達は諸国を回国して歩き、後に当山派と呼ばれる教派となる。

 

 

                   那智大社・三重塔と那智の滝
                   那智大社・三重塔と那智の滝

②若尾五雄氏の論考「鉱山と信仰」

 

若尾五雄氏は「鉱山と信仰」と題した論考で、「石見銀山旧記」の記述では延慶2(1309)、周防国主・大内弘幸が北斗妙見大菩薩のお告げによって石見(大森)銀山を発見した、という所伝により各地の妙見神は金工師が信奉する神ではないかと考え、民俗学的見地から各地の妙見山、妙見宮の所在地と金工、鉱山との関連を調査した結果を記されている。

 

 

 

以下、「虚空蔵信仰」(1991 雄山閣出版)収載、若尾五雄氏の「鉱山と信仰」より(P130P132以下は「虚空蔵信仰」でのページ数)

⇒は筆写が加えたもの。

 

< 妙見神と鉱山 >

 

・熊本県八代妙見社 

ここは、妙見神の総本社だといわれているが、上宮・中宮・下宮にわかれていて、その中宮の近くに銅山跡がある。

⇒八代神社・熊本県八代市妙見町にある。

 

・福岡県八女郡旧星野村妙見城

星野村といわれるように星に関連があり、妙見という城があったが、久留米小史によれば星野の山中には金坑があり、良金が出たとある。

⇒現在は福岡県八女市星野となっている。

 

・広島県福山市妙見山

銅鉱。

⇒福山市内には妙見神社が多数ある。

 

・岡山県英田郡妙見山

銅鉱。水銀鉱跡。

⇒岡山県美作市(元は英田郡)と同県和気郡和気町の境にある妙見山のことか。

 

・兵庫県養父郡妙見山

金鉱跡(日畠村)

⇒兵庫県養父市と美方郡香美町の境にある妙見山。

 

・大阪府豊能郡能勢町

ここは多田源氏の発祥地であり、源満仲が砂金を発見して以来の鉱区で、豊臣秀吉のドル箱でもあった。金・銀・銅の有名な産地である。

⇒妙見山は大阪府豊能郡能勢町、豊能町と兵庫県川西市にまたがる。山頂下の能勢妙見宮は「日蓮宗・無漏山真如寺境外仏堂能勢妙見山」が正式名称。

 

・大阪府旧北河内郡星田

星田妙見。現在では、妙見社は小松神社というが、ここの裏山は金山と呼び、小字に鍛冶屋敷、金堀などの地名が残る。廃坑跡あり。

⇒現在、小松神社(別名・星田妙見宮)の住所は大阪府交野市星田となっている。

 

・和歌山県和歌山市妙見山

いろいろな鉱石がみられる。

⇒戦国時代、雑賀城(さいかじょう)が築かれた。麓には城跡山公園がある。

 

・和歌山県海草郡丹明寺妙見山

銅鉱跡があり附近のナギ山も銅山。川岸に廃坑跡がみられる。円明寺は、元は妙見寺といったが、寺号を台湾の寺に売り、円明寺となる。

 

・愛知県春日井市内津妙見寺

内津は日本武尊に関連のあるところだが、内津温泉があり、マンガン、鉄その他の鉱石が出る。

⇒天台宗・妙見寺(内津妙見寺) は愛知県春日井市内津町にある。

 

・長野県小県郡武石村妙見寺

附近には金山があり、昔は多くの黄金が採れた。

⇒現在、真言宗智山派・妙見寺の住所は長野県上田市下武石となっている。

 

・栃木県上都賀郡足尾町磐裂(いわさく)神社通称妙見様

由緒書によれば、足尾総鎮守妙見天童と上古には称し、後妙見大菩薩といい、その後妙見宮と称するにいたり、別当寺に妙見山竜福寺なるものがあったが、足尾銅山の衰微にともない、廃寺となる。秩父の妙見(秩父神社)、相馬の妙見(中村神社)、足尾の妙見を関東の三妙見という。明治十一年二月古河市兵衛足尾銅山再開してより、磐裂神社とあらためて今日にいたる。(星野理一郎著「勝道上人」記載)

 

⇒磐裂神社は大同3(808)、足尾郷の鎮守として妙見社として建てられた、と伝える。現在の住所は栃木県日光市足尾町遠下となっている。

 

 

・岩手県磐井郡興田村鳥海・鳥海妙見堂

砂鉄、砂金。近世興田(おきた)神社という。砂鉄川の源流であり、砂鉄がひじょうに多く採れ、また河床には砂金が採れた。

⇒現在、興田神社の住所は岩手県一関市大東町鳥海字小山となっている。

 

・岩手県水沢市日高妙見堂

現在は水沢市内にあり、鉱石については不明である。しかし、北上川をへだてたところには、羽黒権現があり、良好な砂鉄が採れ、鋳物、とくに鉄瓶の産地で有名である。

⇒現在の日高神社(日高妙見、日高妙見神社とも)で、弘仁元年(810)の創建と伝え、岩手県奥州市水沢区字日高小路にある。

 

・青森県青森市横内妙見堂

鉱石不詳。

 

 

 

< 虚空蔵菩薩と鉱山 >

 

続けて若尾氏は、空海が虚空蔵菩薩求聞持法を行じた時、口に明星が入って法を体得した、と伝えられていることから虚空蔵尊と明星には関係があるとされ、全国の虚空蔵尊の所在と鉱山の関係を調べて一覧にされる。(P134P136)

 

・虚空蔵山(佐賀県藤津郡喜野丹生川)

ここには水銀、銀を産する波佐見鉱山がある。

⇒虚空蔵山は長崎県東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)川棚町、同東彼杵町、佐賀県嬉野(うれしの)市の境にある。

長崎県東彼杵郡川棚町長崎県東彼杵郡川棚町

・虚空蔵尊 冠嶽(鹿児島県串木野市)

芹ケ野金山(黄金、黄鉄鉱、輝銀鉱)があり。

⇒鹿児島県いちき串木野市と同県薩摩川内市の境にある冠岳には虚空蔵洞がある。

 

・虚空蔵尊(徳島県阿南市大竜寺山)

水銀鉱。

⇒空海の「三教指帰」にある「阿国大瀧嶽」は、徳島県阿南市と同県那賀郡那賀町の境にある太竜寺山(たいりゅうじやま)とされる。山頂付近の高野山真言宗・太龍寺(たいりゅうじ・徳島県阿南市加茂町龍山)は延暦12(793)、桓武天皇の勅願によって堂塔が建立されたと伝える。近くの舎心嶽の岩上では、空海が虚空蔵求聞持法を修したという。

 

・明星寺(岡山県井原市北山町)

金山跡。この寺は北斗山明星寺といい、本尊は不動明王だが、虚空蔵に通ずるとは同寺の塚本大僧正からの通信。ここでは虚空蔵尊が北斗七星―ひいては妙見神と関係している。

⇒真言宗大覚寺派・明星寺は岡山県井原市北山町にある。

 

・虚空蔵山(広島県浅口郡[⇒原文のまま・岡山県浅口郡ではないか]里庄)

銅山がある。

⇒岡山県浅口郡里庄町と同県笠岡市の境に虚空蔵山がある。麓の高野山真言宗・霊山寺(浅口郡里庄町大字里見)奥の院が虚空蔵山の虚空蔵堂。

 

・虚空蔵尊(高知県室戸市最御崎寺)

金鉱。

⇒真言宗豊山派・最御崎寺(ほつみさきじ)は大同2(807)、空海が嵯峨天皇の勅願を受けて虚空蔵菩薩を刻み安置したのを起源とする、と伝える。最御崎寺は高知県室戸市室戸岬町に位置し、室戸岬の洞窟=御厨人窟(みくろど)では青年空海が虚空蔵求聞持法を修したという。

 

・虚空蔵山(高知県高岡郡佐川町斗賀町)

鉢ケ嶺。マンガン鉱その他を産出。

⇒高知県高岡郡佐川町と同県土佐市、須崎市の境に虚空蔵山がある。中腹には矛ケ峰寺があり、虚空蔵菩薩を祀る。

 

・虚空蔵尊(徳島県神山町下分焼山寺)

含銅黄鉄鉱。

⇒高野山真言宗・焼山寺は徳島県名西郡神山町下分字地中にあり、虚空蔵菩薩を本尊とする。

 

 

 

・虚空蔵尊(岐阜県大垣市赤坂 金星山明星輪寺)

金、銀、銅、水銀。

⇒真言宗・金生山明星輪寺は岐阜県大垣市赤坂にあり、虚空蔵菩薩を本尊とする。

 

・虚空蔵尊(三重県伊勢市朝熊山 金剛証寺)

カンラン石、ハンレイ岩で、銅、クロームコバルト、鉄、ニッケルをふくむ山

(宇治山田高校中山欽文先生通信)

⇒臨済宗南禅寺派・金剛證寺(三重県伊勢市朝熊町岳)は朝熊山南峰東腹にあり、虚空蔵菩薩を本尊とする。

 

・虚空蔵尊(岐阜県武儀郡高賀山)

銅山。

⇒岐阜県の高賀山脈(高賀山を主峰とした瓢ケ岳、今淵ケ岳)には、高賀山六社と呼ばれる神社が点在する。

高賀神社(関市洞戸高賀)明治の廃仏毀釈までは境内に蓮華峯寺があった。白山信仰の影響から十一面観音、大日如来を本地仏として、また牛頭天王、虚空蔵菩薩が信仰される。

新宮神社(郡上市八幡町)金銅虚空蔵菩薩坐像を祀る。

星宮神社(郡上市美並町)星神信仰の社殿であり、虚空蔵菩薩を明星天子として祀る。

瀧神社(美濃市乙狩)

金峰神社(美濃市片知)

本宮神社(郡上市八幡町)

 

・虚空蔵山(新潟県北蒲原郡安田町)

鉄鉱(砂鉄)

⇒安田町は、現在は阿賀野市となっており、新発田市との境付近に虚空蔵山がある。

 

・虚空蔵尊(福島県河沼郡柳津村 円蔵寺)

銀山川があり、銅山がある。

⇒臨済宗妙心寺派・円蔵寺は福島県河沼郡柳津町柳津字寺家町甲にあり、虚空蔵菩薩を本尊とする。柳津町内には軽井沢銀山があった。

 

・虚空蔵山(宮城県伊具郡丸森町大張)

山麓に金山部落がある。

⇒宮城県伊具郡丸森町には虚空蔵上、虚空蔵中、虚空蔵下の地名がある。

 

・虚空蔵山(山形県米沢市)

吉野鉱山。

⇒山形県南陽市、上山市、山形市、山形県西置賜郡白鷹町、同県東村山郡山辺町との境にある白鷹山(虚空蔵山)の南陽市側、小滝を源流とする吉野川沿いに吉野鉱山がある。

 

・虚空蔵尊(岩手県気仙郡唐丹・五葉山)

平泉の藤原氏時代、伊達氏時代の最高の金の産地で、平泉の金色堂の黄金は、みなここの産金によるという。

⇒岩手県気仙郡住田町、大船渡市、釜石市の境にある五葉山の名称は、虚空蔵菩薩、愛染明王、薬師如来、観音菩薩、阿弥陀如来より名付けられた、とも伝えられている。

 

・虚空蔵尊(青森県岩木山百沢村)

鉄鉱。

⇒岩木山山麓の青森県中津軽郡西目屋村、西津軽郡深浦町(旧・西津軽郡岩崎村)には複数の鉱山があった。

 

・虚空蔵宮(金井神社 栃木県下都賀郡金井町)

由緒によれば、「この聚落を小金井郷といふ。この地名小金の湧き出づる井戸に通づる語源なり」とある。金井―金鋳?

⇒金井神社は栃木県下野市小金井にあり、国土開拓の祖神とされる磐裂命、根裂命を祀る。以前は金井村字余又にあったが宝暦4(1754)に現在地に移転した、と伝える。

 

 

 

以上、若尾氏が列挙されたものを見れば、妙見神、虚空蔵菩薩と産鉄の山との関係は密接なものがあるといえるだろう。このような各地の妙見神や虚空蔵菩薩と産鉄の山との結びつきは、先に見たように、「修験者、聖」による伝道教化と鉱山開発があったと考えられる。では、何故に産鉄と妙見神、虚空蔵菩薩が結びつけられたのか?という質問への回答となるだろうか。若尾五雄氏は「私は、天空からの隕石の落下が、それであったと思う」(P138)とされ、以下のように記される。

 

「ともあれ、隕石落下という自然現象から、天空の星は金属であると、原始人は考え、そこに鉱山神としての星神信仰が発生したことは十分に考えられることである。なお私は、星神、とくに妙見神の鉱山神としての、信仰の原因のひとつに、鉱山師がいまでも『鉱脈、鉱床はかならず北方に向かって延びている』とする定説も関係があるのではないかと思っている。」(P139)

 

 

 

熊野、吉野の修験者、密教等の聖による伝道教化と各地の開発と産鉄。隕石と産鉄神としての妙見信仰と虚空蔵信仰。俘囚の移住、別所と聖の居住。この角度については、まだまだ考えていきたいと思う。

 

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