「報恩抄」に見る末法の教主の自覚
日蓮に『末法の教主』たるの自覚が漲っていたことを、「報恩抄」から読み解いていきましょう。
「報恩抄」
日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり。
意訳
日蓮の慈悲が広大ならば、南無妙法蓮華経は末法万年だけではなく未来永遠に唱え伝えられることでありましょう。妙法には日本国の一切衆生の仏法上の盲目を開く功徳があり、悪法により人々が無間地獄へと堕ちることを防ぐ力があるのです。妙法の功徳は、正像の正師である伝教大師最澄や天台大師智顗、竜樹菩薩や迦葉尊者の教えよりも優れたものなのです。
『日蓮は末法の教主である』
この一点が日蓮の胸中に光り輝いていたことが、そのまま顕された記述ではないでしょうか。
「慈悲曠大」とは仏が衆生を慈しむ親の徳。
「日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり」一切衆生の仏法上の盲目を開く功徳の法体は南無妙法蓮華経であり、法体を顕し唱題成仏を創唱し、教え導く師匠が日蓮。
「無間地獄の道をふさぎぬ」衆生を思い守る主でなければ断言できないことであり、これを明確に宣言。
主師親の三徳が揃っています。
そして何よりも「南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」との文即ち、「末法は南無妙法蓮華経によるべきであり、それは末法万年をも超えて未来永遠に流れ通うことであろう」と明確に教示するところに、「釈尊の教えの限界、末法の法はいかなるものなのかを明示」したことが理解できると思います。
また、この一文は「末法では釈尊の教えは山の彼方に没し、東の水面・日本より昇りし妙法により一切衆生は功徳に潤うことであろう」との、「仏法東漸から仏法西還の意」が読み解けるのではないでしょうか。
いずれも教主でなければ言えませんし、教主たる自覚あればこその教導であると拝するのです。
2023.1.13