世界的人物である釈尊と日蓮を一寺院の創作神話の世界に落とし込み、寺信心の域にとどめてはいけない

 

男子部教学室の『「教学要綱」は創価ルネサンスの集大成』と題した論考は、明快にして分かりやすいと思います。一閻浮提広宣流布・立正安世界を目指して世界宗教を志向する和合僧が、その可能性を閉ざして縛り付けてしまう「寺信心」と決別するのは当然です。「門流教学」なるものは要は「寺院教学」にして、結局は「寺信心」となってしまうわけであり、和合僧はその「寺信心」と30年以上も相対して言葉を戦わせてきたのです。

 

では、「寺院教学」とはどのようなものなのか?

 

・総本山に参詣して日蓮大聖人出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を拝しなければ絶対に成仏はかなわない。

 

・日蓮大聖人は久遠元初の自受用報身如来であられ、大聖人は唯授一人の血脈相承により仏法の一切を付属なされた。

 

・血脈の法水は一器の水を一器に瀉そそぐように承け継がれ、当代の御法主上人猊下の御内証にあられる。

 

・唯授一人金口嫡々血脈相承の御歴代御法主上人猊下は現代の大聖人様であられる。

 

・故に猊下に信伏随従し、御指南を拝するところに正しい信心があるのだ。

 

・大御本尊と血脈相承がない、即ち我が宗派以外の他宗教は全て邪宗教であり、一切の不幸の原因なのだ。

 

・在家の分際で甚深の法門を知ったつもりになり、勝手に御書を解釈するなど増上慢である。

 

・在家が僧宝たる御僧侶に意見するなどとんでもない、ましてや血脈附法の御法主上人猊下を批判するなど大謗法であり堕地獄は必定である。

 

 

要するに「寺院教学」は、帰着するところは「板本尊絶対信仰」「血脈信仰」「法主信仰」となってしまい、一言でいえば「寺信心」となるわけです。「寺信心」の文書を読めば、人間世界に存在するありとあらゆる表現、漢字を以て荘厳・正当化していますが、それらは「神話」にして「夢物語」が正体であるというべきでしょう。

 

「いや、一寺院の教学にまつわるものではなく、もっと大きなもの、日蓮正統というべき日興門流教学という視点から考えよ」と「教学要綱」を批判する人が主張しても、やはり「釈尊・日蓮の仏法は一つの門流=弟子の門派の域内を土台としてはいけない」というべきでしょう。

 

日蓮の時代も今日でも、釈尊はいわば世界的人物であり、日蓮も同じく「観心本尊抄」の「一閻浮提第一の本尊この国に立つべし」に代表されるように、「一閻浮提」との表現を遺文中で多く記述しており、それは同時代の仏教祖師・導師を遥かに越えるものになっています。

 日蓮もまた全世界を視野に入れ心は世界の一切衆生を包むものであったといえ、それら釈尊・日蓮の成したものを後代の弟子の一つの門流・門派の域に摂し入れるなどは「釈尊・日蓮の信仰の清流」に添加物・不純物を加えることになり、矮小化にもなるといえるのではないでしょうか。

釈尊と日蓮の仏法は、その思考するところは始めから世界宗教的なものであり、決して後代の門流・門派に留めてはいけないものだと思うのです。

 

 

聖人知三世事 建治元年(1275

日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。

 

 

撰時抄 建治元年(1275

これをもって案ずるに、大集経の白法隠没の時に次いで、法華経の大白法の日本国ならびに一閻浮提に広宣流布せんことも疑うべからざるか。 同 日蓮は日本第一の法華経の行者なること、あえて疑いなし。これをもってすいせよ。漢土・月支にも一閻浮提の内にも、肩をならぶる者は有るべからず。

 

 

報恩抄 建治2年(1276721

答えて云わく、一には、日本乃至一閻浮提一同に、本門の教主釈尊を本尊とすべし。いわゆる宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏ならびに上行等の四菩薩、脇士となるべし。

 

 

下山御消息 建治3年(12776

これはまた、地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給いて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり。

 

 

本尊問答抄 弘安元年(12789

この御本尊は、世尊説きおかせ給いて後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候わず。漢土の天台、日本の伝教、ほぼしろしめして、いささかひろめさせ給わず。当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候え。

 

 

諫暁八幡抄 弘安3年(128012

涅槃経に云わく「一切衆生の異の苦を受くるは、ことごとくこれ如来一人の苦なり」等云々。日蓮云わく、一切衆生の同一苦は、ことごとくこれ日蓮一人の苦なりと申すべし。

 

 

このような「世界的なスケールの日蓮」に対して、「日興門流教学」の一時代を代表する人物ともいえる左京日教が日興~日尊系の京都・住本寺から富士に移り何を指南したかといえば、象徴的な記述があります。

 

 

類聚翰集私 長亨2(1488)610

第四 諸宗先ず本尊を定むる事

日蓮聖人御入滅有るとき補処を定む、其の次ぎ其の次ぎに仏法相属して当代の法主の所に本尊の躰有るべきなり、此の法主に値ひ奉るは聖人の生まれ代りて出世したまふ故に生身の聖人に値遇結縁して師弟相対の題目を同声に唱へ奉り信心異他なく尋便来帰咸使見之す、何ぞ末代の我等三十二相八十種好の仏に値ひ奉るべき、当代の聖人の信心無二の所こそ生身の御本尊なれ」富要 2-p309

 

 

(※日教は大石寺僧となる以前の京都・住本寺[日尊系]で日叶と名乗っていた時代、天台の金師の相承・金口の相承等を強調していました。その後、大石寺9世日有の代に大石寺に帰伏し、これらの教義を持ち込み、そこから法主一人のみの金口の血脈、法体の血脈=秘伝、秘法の創作に大きな役割を果たしています)

 

「法主は生身の日蓮、御本尊」という教説のどこに、「日興門流の正統性と正当性」があるというのでしょうか。桁外れのトンデモ説、己義というべきです。「法主に合掌し、法主の前で雑念を払い=思考停止となり、法主の指南を拝する」信仰は、日蓮どころか一住職を神格化し、数々の神話を作り出して人々を平伏せさせるものとなってしまいます。「日興門流の教学」といっても、つまるところは「寺信心」に堕してしまうというべきでしょう。

 

2024.11.2