万年救護本尊の讃文に見る末法の教主
上野殿御返事 文永11年(1274)11月11日
大蒙古国よりよ(寄)せて候と申せば、申せし事を御用ひあらばいかになんどあはれなり。皆人の当時のゆき(壱岐)つしま(対島)のやうにならせ給はん事、おもひやり候へばなみだもとまらず。
蒙古襲来が現実のものとなってしまった。
日本国が一旦は滅びるであろうことは、必定で避けようがない。その時の民の嘆きは、悲しみは・・・
亡国前夜となり日蓮一門に危機感がみなぎっていた時、同年12月に顕されたのが、通称・万年救護本尊です。
讃文
「大覚世尊御入滅後 経歴二千二百二十余年 雖尓月漢 日三ヶ国之 間未有此 大本尊 或知不弘之 或不知之 我慈父 以仏智 隠留之 為末代残之 後五百歳之時 上行菩薩出現於世 始弘宣之」
大覚世尊(釈尊)が入滅された後、二千二百二十余年が経歴するが、月漢日(インド、中国、日本)の三ケ国に未だなかった大本尊である。日蓮以前、月漢日の諸師は、或いはこの大本尊を知って弘めず、或いはこれを知らなかった。
我が慈父=釈尊=久遠の仏は仏智を以て大本尊を隠し留め、末法の為にこれを残されたのである。後五百歳の末法の時、上行菩薩が世に出現して、初めてこの大本尊を弘宣するのである。
インドから中国、そして日本への仏教正統の系譜に連なり、前時代の先師も待望していた大本尊が時至って、釈尊=久遠の仏より付属を受けた上行菩薩により顕され、弘宣される・・・
ここにおいて、曼荼羅は本尊であること。
日蓮こそが上行菩薩であること。
そして、弘宣されるべき当体は曼荼羅本尊であることが理解されます。
問題はここからです。
授与書きのない万年救護本尊は、身延の草庵で奉掲して皆で拝したことでしょうが、拝する弟子檀越の法門理解は様々です。
そのような観点からと思われますが、讃文では『我が慈父=釈尊=久遠の仏の仏智により大本尊が隠し留められて末法の為に残され、後五百歳の末法の時に上行菩薩が世に出現。初めてこの大本尊を弘宣する』と記述しました。
拝する門下は「日蓮聖人は曼荼羅本尊により、末法の衆生を救済されようとしている。讃文を拝すれば、本尊を弘宣する日蓮聖人は釈尊より付属されし上行菩薩だ」と、ここまでは理解したことでしょう。
日蓮の対機説法ですね。
戸田・創価学会二代会長は絶妙な表現をされています。
『万年救護の御本尊と申し上げますのは、日蓮大聖人様の宣言書であります。~万年救護の御本尊は「おまえたちを、これによって救ってやるのだぞ」と言う宣言書であります』質問会集より
ここで、もう一段掘り下げて考えてみれば、釈尊、先師を引用したところで当然、釈尊も先師も日蓮の本尊を知りようもなく、付属しようもありません。
まさに日蓮自らの内観世界に於いて釈尊=久遠の仏、先師と対話し、日蓮の胸中から湧き出でるようにして顕された独創の本尊であり、曼荼羅を顕す行為自体が『末法の衆生が帰命する本尊』を顕す、即ち他の本尊では成仏は叶わないことを意味するものであり、それは日蓮その人が、末法の教主として在ることを宣言しているものでもあると考えるのです。
2022.12.4