メモ 1
◇今日、釈迦と呼ばれている人物
古代北インドの一部族、釈迦族・シャーキヤ族の王族
・サンスクリット語 ガウタマ・シッダールタ
・パーリ語 ゴータマ・シッダッタ
・漢訳 瞿曇悉達多 くどんしっだった
◇生没年
紀元前624年~紀元前544年 南伝仏教説
紀元前565年~紀元前486年 : 北伝仏教説
紀元前466年~紀元前386年 : 宇井伯寿説
紀元前463年~紀元前383年 : 中村元説
紀元前7世紀、6世紀、5世紀と諸説あり。
◇教説
パーリ仏典
・スッタニパータ
・ダンマパダ
南伝の上座仏教に伝わるパーリ語で書かれた仏典
◇法華経の成立
50年~150年または40年~220年
西北インドで編纂
ユーラシア大陸東部に広まる
◎如我等無異
「我が如く等しくして異なること無からしめん」
妙法蓮華経方便品第二
◎久遠実成の仏=久遠仏
「然るに善男子、我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」
「我成仏してより已来、復此に過ぎたること百千万億那由佗阿僧祇劫なり。是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」
「然るに我、実に成仏してより已来、久遠なること斯の若し。」
「是の如く、我成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり。寿命無量阿僧祇劫なり。常住にして滅せず。」
妙法蓮華経如来寿量品第十六
◇仏教(法華経)・久遠仏
ユダヤ教・ヤハウェ
キリスト教・ゴッド
イスラム教・アッラー
旧約聖書の成立 紀元前5世紀、同4世紀
新約聖書 150年~225年、45年~95年
◇法華経について~池田名誉会長の優れた見識
「法華経の智慧」第5巻(1999年9月20日 聖教新聞社発行)より一部引用 P254~
名誉会長
ただ、大乗仏教は決して、釈尊と無関係の「非仏説」ではないということです。むしろ、釈尊の真意に迫った結果なのです。
もちろん、だれが説こうと、その教えが優れていればよいのです。
釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は仏なのです。それがだれであれ、法華経を説いた人が仏なのです。
「釈尊が説いたから偉大なのだ」というのでは、一種の権威主義であり、肩書主義でしょう。
須田
プラトンが書き残した膨大な「対話篇」も、ソクラテスが主人公になっていますが、実際に、その通り、師ソクラテスがしゃべったわけではないでしょう。
では、「うそ」なのか、「非ソクラテス説」なのかというと、そうは言いきれない。弟子プラトンがつかんだ「師の真意」の表現だったと思います。
名誉会長
そうだね。私は、大乗仏典は、「釈尊の真意」に迫った人々が、より多くの人々にそれを伝えるためには、さまざまな工夫をして説いたものだと思う。
遠藤
金庸さんは、こう言っています。「ついにわかったのです。すなわち本来、大乗経典がいいたかったことはみな、この『妙法』だったということを。大乗経典は、知力の劣った、のみこみの悪い人々にも理解させ、帰依させるために、巧妙な方法を用いて仏法を宣揚し、説き明かしたものだったのです」。
斉藤
たしかに「大乗非仏説」の弱点は、「これほどの偉大な法を説いた経典編纂者が、『自分勝手な自説を、釈尊の名前で発表する』ような破廉恥なことをするのか」ということです。「如是我聞(是の如きを、我聞きき)」とある通り、その教えを文字にまとめた人々は、「自分はたしかに釈尊からこの教えを聞いたのだ」と信じていた――自覚していたと考えたほうが、すっきりします。
名誉会長
それでは、その「如是我聞」申し上げた相手は、だれなのか。「たしかに聞いた」――だれから聞いたのか。それこそ、「常住此説法《常に此(娑婆世界)に住して法を説く》」の「永遠の仏」から聞いたのではないだろうか。その「説法」を、たしかに聞いた。その宗教的体験を「如是我聞」と言ったと考えられる。
須田
大乗仏教の研究者にも、そういう立場を取る人がいます。
名誉会長
もちろん、「生身の釈尊」の説法が伝承されていて、それが「核」になったことも当然、考えられます。
遠藤
「一心欲見仏」の修行のなかで、そういう不可思議な体験をする。それは必ずあったと思います。
斉藤
否定する学者もいるかもしれませんが、こういう「観仏(見仏)」体験を否定したのでは、仏教史、宗教史はわかりません。
遠藤
「音痴が音楽史を書く」ようなものですね(笑い)。
名誉会長
「大乗非仏説」は、「仏といえば(生身の)釈尊以外ない」という大前提に立っているようだ。
しかし、それでは釈尊が何のために仏法を説いたのか、わからなくなってしまう。自分と同じ「不死の境地」を教えるために、仏法を説いたのだから。
釈尊と同じ悟りを得た人は必ずいるはずです。
斉藤
その人も「仏」ですね。
名誉会長
そうです。
須田
法華経を編纂した人も「仏」でしょうか。
名誉会長
そう言ってもよいでしょう。
遠藤
ではなぜ、「(歴史的)釈尊が霊鷲山で説いた」という形式になっているのでしょうか。
名誉会長
そういう伝承があったのかもしれないし、何よりも「これこそが釈尊の真意である」という確証を実感していたからでしょう。
須田
大乗の運動が、紀元前後の数百年をピークとしますと、釈尊滅後、五百年ぐらいでしょうか。「五五百歳」説で言えば、ちょうど「禅定堅固」のころに当ります。
斉藤
「禅定」の体験の中で、「常住此説法」している「久遠の釈尊に」まみえたと、考えられますね。
遠藤
戸田先生の獄中の悟りも、「霊山の一会、儼然として未だ散らず」を体験されたわけです。
以上引用
◇本尊について
日蓮は、その法門を確立するにあたって、既存の教義的なものを法門に摂入しています。
ガウタマ・シッダールタ(釈迦)の時代には本尊がありませんでした。後世、その姿を思った弟子が作成した仏像が始まりで、そこに経典の読誦をおこない勤行の形式となったわけです。
更に曼荼羅に至っては仏滅後700以上かけて成立した密教=真言系が始まりです。
また本尊に合掌礼拝して境智冥合して、即身成仏していくというのは「インドのバラモン教が民衆の間に信仰として広まったヒンズー教、その体系である『梵我一如』の影響を受け変化した密教が、大日如来を大宇宙の生命とし、信徒が合掌して宇宙と一体化していくという思想」との関連性もうかがわれるところです。
◇本尊中の相貌について
十界曼荼羅中に認められているこれらの諸尊は、日蓮の摂入の思想を象徴的に表しています。
大梵天王 ~ インドの民族宗教・バラモン教の神で宇宙の造物主とされています。
帝釈天 ~ インド神話上の最高神で、雷神とされています。
不動明王 ~ 真言宗の胎蔵部曼荼羅の代表的明王 真言宗では仏道修行を妨げる障魔を打ち破る明王とされています。本尊の右側に梵字であります。
愛染明王 ~ 真言宗の金剛部曼荼羅の代表的明王 衆生の煩悩を浄化、解脱させるとされています。 本尊の左側に梵字であります。
天照大神 ~ 日本の神道(日本教)そのもので、「古事記」「日本書紀」に登場し、神伊邪那岐神(いざなぎのかみ)の娘神、高天原の主神で日の神で、日本の皇室の祖先とされています。
八幡大菩薩 ~ 後540~571年の欽明天皇の時代に大分県宇佐郡馬城峯に現れ祀られたとされ、宇佐八幡宮を本源とします。
このように見てきますと、日蓮仏法は末法の民衆の機根を前提に、久遠の彼方を源流とし、それに連なるガウタマ・シッダールタ、法華経編纂者、天台大師智顗、伝教大師最澄等の先師、先哲の法門、慈悲を摂入し、更に日本の国土の宗教をも摂して完成されてきたのではないかと思います。
おいしい所だけをとった?
なんて、それは認識不足もはなはだしいでしょう。
日蓮の他の人師と決定的に違うところは三大秘法の確立でしょう。
本尊、題目、戒壇について、個別には各宗派の開祖等があらわしていますが、これらを三大秘法として確立、整足させ、それを世に流布していく、というところに日蓮仏法の自立、独立性を感じるものです。
別の言葉で言うならば、「人間、生命の救済」に生涯の全てを捧げた人の英知、真理というものは受け継がれ、又連続性のあるものではないかと考える次第です。
◇広宣流布する実体は「本門の本尊、妙法蓮華経の五字」と教示
顕仏未来記 文永10年(1273)閏5月11日
爾(しか)りと雖も仏の滅後に於て、四味三教等の邪執(じゃしゅう)を捨てゝ実大乗の法華経に帰せば、諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん。此の人は守護の力を得て本門の本尊、妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。
例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩「我深敬」等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と其の語殊(こと)なりと雖も其の意之同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。
◇「三大秘法=本門の三つの法門」建立を明示
法華取要抄 文永11年(1274)5月24日
問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。
中略
我が門弟之を見て法華経を信用せよ。目を瞋(いか)らして鏡に向かへ。天の瞋るは人に失(とが)有ればなり。二つの日並び出づるは一国に二の国王を並ぶる相なり。王と王との闘諍(とうじょう)なり。星の日月を犯すは臣の王を犯す相なり。日と日と競ひ出づるは四天下一同の諍論なり。明星並び出づるは太子と太子との諍論なり。是くの如く国土乱れて後上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。