はじめに・注

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(1)衆徒

 

在地領主層を出自とし、古くから熊野各山を掌握・運営してきた。社家ともいわれる。

 

 

 

()根井浄氏「補陀落渡海史」p.584  2001年 法蔵館

 

 

 

()明月記

 

鎌倉時代の公家・藤原定家(11621241)の日記で、治承4(1180)~嘉禎元年(1235)56年間にわたる。

 

 

 

()熊野詣日記

 

室町幕府三代将軍・足利義満(13581408)の側室・北野殿(?~1429)は熱心な熊野信仰の人で、応永3(1396)以降13回も参詣しているが、最後となった応永34(1427)の参詣記。その時、先達をつとめた住心院僧正・実意が記した。

 

 

 

()御湯殿上日記

 

文明9(1477)~貞享4(1687)200年以上にわたり、御所で天皇に近侍する女官達が書き継いだ当番制の職掌日記。

 

 

 

()多聞院日記

 

文明10(1478)~元和4(1618)140年間、奈良興福寺塔頭・多聞院で三代にわたり書き継がれた日記。

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 ()言継卿記

 

戦国時代の公家・山科言継(15071579)の日記で、大永7(1527)から天正4(1576)にわたる50年間の記録。

 

 

 

()「補陀落渡海史」 p.585

 

 

 

()山本殖生氏「大規模な熊野三山本願所の展開」

 

『寺社造営勧進 本願職の研究』所収 p.37 豊島修氏、木場明志氏・編

 

2010年 清文堂出版

 

 

 

(10)阪本敏行氏「熊野三山と熊野別当」 p.416  2005年 清文堂出版

 

 

 

(11)五来重氏「熊野詣 三山信仰と文化」 p.131  2004年 講談社

 

 

 

(12)和田萃氏「熊野権現」 pp.2830  1988年 筑摩書房

 

 

 

(13)桜井徳太郎氏「縁起の類型と展開」

 

『日本思想大系二十 諸山縁起』所収 p.474 桜井徳太郎氏、萩原瀧夫氏、宮田登氏・校注 1975年 岩波書店

 

 

 

(14)宮家準氏「修験道と日本宗教」 p.22  1996年 春秋社

 

 

 

(15)「修験道と日本宗教」 p.63

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